Room147  

2024.2.22

別府湾一望のテラスを備えた

祖母の面影が残る家

美術 太田 仁

町田そのこの本屋大賞受賞作を『八日目の蝉』の成島出監督が映画化。原作同様、海辺の街を舞台に、心に傷を負った女性、貴瑚(きこ・杉咲花)のアンさん(志尊淳)との回想をはさみながら、母親から虐待を受ける少年(桑名桃李)との出会いと再生が描かれる。太田仁さんがつくりあげた美術には、主人公・貴瑚の祖母・清子のありし日々を見て取ることができる。

ウッドテラスは天空に伸びる橋のイメージ

いまは亡き祖母、清子と暮らした思い出の地、海辺の街へと移り住んだ貴瑚。別府湾を臨む高台にある家は、台本を書くための取材で監督らスタッフが大分を訪れた際に偶然見つけたもので、まさに理想的な物件だった。その後に現地を訪れた太田さんも、「何よりも居間から見える海と空がものすごく素晴らしかった」と語る。
「これに勝るロケーションはないんじゃないかと思いました。縁側など美術で造作するものに関しては、お家に合わせてある程度しつらえることができますが、やはり景色、自然は僕らでは太刀打ちできないので」

見た目をなじませるために、撮影の数カ月前には造園が始ま
った。「植樹の移動やフェンスの撤去は、撮影直前におこな
うと、どうしても『ついこの間、工事しました』という感じ
が出てしまう。家主の方、造園業者さんの協力で早めに作業
に入ってもらうことができました」

大きな特徴は、縁側から海に向かって突き出したウッドテラス。貴瑚と少年が交流する重要な場面で登場するが、原作にはなかった空間だ。
「原作では縁側だったんです。縁側だけでは映像として面白味に欠けると思っていたところに、監督が『張り出したウッドテラスみたいなものをつくりたい』とおっしゃった。お借りした家は縁側の掃き出しから約1mのところまで庭があって、その先は崖というか、斜面。そこにテラスを設けることにしました」
「京都の鴨川の川床みたいなテラス」という監督のイメージを受け、太田さんはアイデアを膨らませた。

この映画のためにつくられたウッドテラス。「原作で村中工務店が修理をするのは部屋の床板なのですが、テラスを修繕しているという設定に変えました」

「『清子には、若い頃に想い人と一緒に大分へ旅行に来たとき、別府湾に迷いこんだクジラを二人で見た、という思い出があった。独り身になって大分へ移住してきた際に、クジラをもう一度見たいと思い、テラスを設けた』という設定です。たぶん清子はたまに想い人を浮かべながら、一人で海を眺めていたんだろう。5、6人でワイワイと食事をするような大きさではないだろう。とも考えました」
監督が口にした「再生」「やり直し」というテーマもヒントになった。
「色の参考にと監督が見せてくださった写真が、橋のような形状のテラスでした。それで『天国への階段』ではないですけど、天空に伸びる橋みたいなイメージが湧いたんです」
とはいえ、細長いスペースでは演技がしづらい。
「清子は東京・向島で芸妓をしていたので伝統文化に通じているはず。テラスの設計にも、吉祥文様(きっしょうもんよう)や青海波(せいがいは)といった日本の伝統的な文様を落とし込めたらと考えました。いろいろ試した結果、長寿や繁栄の意味があり、着物の柄にもよく使われる六角形の亀甲文様がぴったりでした」
海を見下ろす家ということで、塩害などでダメージを受けていないかと心配したが、それは杞憂だった。

室内には清子が使っていたものが残っている。「元芸妓の清子は長唄の教室を開いていたけれど、長唄の道具は貴瑚の母が売ってしまい、お金になりそうなものは残っていない、という設定です。小物の数々は、いまっぽい雰囲気だと貴瑚が買ってきたものに見えてしまうので、湯澤さんに『古いけれど気品を感じさせるもの』を用意してもらいました」

居間は網代(あじろ)敷。網代とは木材や竹を薄く細くけず
り、編んだもの。「装飾の湯澤幸夫さんと『網代敷なんて素
敵でいいよね』と話して探していただきました。網代は10
畳で200万円ぐらいするほど高価なのですが、装飾会社に
たまたま置いてあるものがあって、お借りできました。サイ
ズもドンピシャだったんです」

「現在の家主のお父さんが建てられたお住まいですが、瓦、漆喰、柱と、どれもこだわりのあるつくり。それに、50年もここに建っているのになぜ?と思うほど綺麗でした。海沿いで、風もそこそこあるのに、全然傷んでない。『貴瑚が越してくるまでは10年ぐらい空き家だった』という設定なので、『住んでいなかった』感を出すのは大変だなと逆に思ったくらいです」
木製だったであろう建具がサッシに替えられるなど手が入っていたのは、現役の住まいゆえ。

木製のものが多い室内のなかでも、一際目をひくのが大きな桐のタンス。「家具は基本的に持ち込んで飾っているのですが、大きな桐ダンスは配置だけ変えて、そのまま使わせていただきました」

「映画の冒頭、村中工務店の職人、村中真帆(金子大地)がテラスの修繕をしているシーンがあります。サッシについては『工務店が何日か前からもう入っていて、建具を交換したばかり』という設定にして、そのまま撮影してもよかったんです。『でもやっぱり木製のほうが味があるよな』と思っていたところ、家主さんがすごく几帳面な方で、もともと使っていたガラス戸などの古い建具を保存していたんです。別に僕らのためじゃないんですけど(笑)。それらを『切ったり色を塗ったり、何をしてもいいよ』と提供してくださったんです。もともと入っていた建具だけあってマッチングも抜群でした」

縁側の椅子は太田さんと湯澤さんがもっともこだわったポイント。「座面の生地を古い花柄のものに張り替えました。清子は普段ここに座って、たまに椅子をテラスまで持っていって、海を見ていたんじゃないかと想像しました」

本作で一番楽しく、大変だった作業は「水しぶきのシーン」。
「大分での撮影に入ってから、貴瑚と少年のクライマックスで『水しぶきが欲しいね』となったんです。そこで水落とし台をつくることになりました。足場を組んで、高いところからドラム缶を使って水を流して、それがスロープを伝って、下にある返しで水しぶきになる。という装置です」
水落とし台は日本映画で伝統的に使われてきた装置。水の量など演出によって求められるもの違うので、作品ごとにつくられるのが常だそう。
「角度・長さ・幅も、演出に応じて設定するので、その場その場でこしらえる必要があるんです。ミニチュアで検証して、『これでいける』となって、実際の大きさのものをつくりあげます」

物干し竿が置かれた庭。「物干しと物干し台は清子が使っていたもの。ピンチハンガーは貴瑚が買ってきたもの。新旧の差を表現しました」

その撮影は成島組ならではのチームワークで成し遂げられた。
「本来は美術部が装置をつくって操演のスタッフが水を落とすものですが、そこは『みんなでつくる』成島組。撮影助手や特機部をはじめ、ほかの部署のスタッフも総出で、みんなで『ああじゃない?』『こうじゃない?』といいながらの撮影になりました。本当に楽しかったですね」

海を臨む高台に建つ1LDKの木造家屋。築年数は50年を超える。大分県田浦で撮影された。

映像カルチャーマガジン・ピクトアップ#147(4月号2024年2月16日発売) 『52ヘルツのクジラたち』の美術について、美術・太田さんのインタビューを掲載。
プロフィール

太田 仁

ota hitoshi
79年新潟県生まれ。上條安里氏、磯田典宏氏に師事。サラダルテ在籍。19年『株式会社グレーゾーンエージェンシー』で美術監督デビュー。近作に『サイレントラブ』(24)、公開待機作に『マッチング』(2月23日公開)がある。
ムービー

『52ヘルツのクジラたち』

監督/成島出 原作/町田そのこ 脚本/龍居由佳里 出演/杉咲花 志尊淳 宮沢氷魚 小野花梨 桑名桃李 配給/ギャガ (24/日本/136min) 東京から大分へと引っ越してきた三島貴瑚。彼女は母親からムシと呼ばれ、虐待されている少年と出会う。貴瑚もまた少女時代に母親から虐待をされた過去があった……。 3/1~TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開 ©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会
『52ヘルツのクジラたち』公式HP
https://gaga.ne.jp/52hz-movie/
住まいさがしをはじめよう! 人気のテーマこだわり条件で新築マンションを探す その場所は未来とつながっている こだわり“部屋”FILE HOMETRIP
関連するお部屋
“一戸建て”
“和風”
“昭和レトロ”
MENU

NEXT

PREV