「石川」

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尖った鉛筆の先を「ケンケン」と呼ぶのは石川県民だけ?

尖った鉛筆の先を「ケンケン」と呼ぶのは石川県民だけ?

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年11月25日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、「鉛筆の尖った先のことを何という?」という話題がのぼっていました。画像はイメージです(photosteve101さん撮影、Flickrより)東京や関東出身の人たちは、みな声をそろえて「尖っている」としか言いませんでしたが、金沢の人たちは「ケンケン」というのです。「ケンケン」というと片足跳びのことかと思われますが、金沢では立派に通用する言葉です。武士文化のある金沢らしい言葉この「ケンケン」は、石川だけの方言で、鉛筆の尖った先を表す擬態語の方言です。擬態語の方言と言えば他に「おしゃべり」を表す「ちゃべちゃべ」や芋をふかしたときなどの「ごぼごぼ」があります。そして、この「ケンケン」は、刀の剣の「ケン」に由来しているそうです。武士文化の残る金沢らしい方言ですね。ちなみに、鉛筆の先を表現する擬態語の方言を持っている地域と持っていない地域があり、富山では「ツクツク」、福井では「ツンツン」、愛知では「トキントキン」、関西では「ピンピン」と言うそうです。最近の金沢の小中学生は、関西方面からの影響を受けて「ピンピン」が定着しつつあるんだとか。昔から使っていた私としては、「ケンケン」こそ、金沢にふさわしい、残してきたい方言だと思います。(ライター:りえ160)

上り?下り?どっち!? 金沢周辺の鉄道・道路めぐる不思議

上り?下り?どっち!? 金沢周辺の鉄道・道路めぐる不思議

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年11月23日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、「金沢駅の上り線、下り線はどっち?」という話題がでていました。一般的に路線の起点に向かうほうが上り、終点に向かうほうが下りなので、北陸新幹線ならば東京方面行きが上り線、金沢方面行きが下り線、特急サンダーバードならば、大阪方面が上り線、金沢方面が下り線です。特急サンダーバード(sodai gomiさん撮影、Flickrより)しかし、サンダーバードでは、それぞれの路線に起点と終点があり、上りのサンダーバード内でも、JR湖西線の近江塩津→京都間は下り、東海道線の京都→大阪間も下りとなり、同じ列車に乗っていても上りと下りが入れ替わる場合もあります......。金沢でも上りと下りが混在するそして、電車だけでなく高速道路にも上りと下りがあります。こちらも起点と終点が決められており、北陸自動車道の場合、起点が新潟、終点が米原です。しかし、昭和63年7月、北陸自動車道が全線開通したとき、混乱を防ぐために上りと下りを国鉄に合わせて逆転させました。ですので、新潟・富山方面が下り、福井方面が上りとなります。一方で国道8号線は、上りが起点のある新潟方面、下りが福井方面ですので、北陸自動車道と国道8号線は、上り下りが逆になっているのです。私自身、ときどきわからなくなることがあって、どうしてだろう......と思っていたのですが、なるほど、どっちがどっちかわからなくなる複雑な交通事情があったのですね。(ライター:りえ160)

石川県の不動産あるある...「サンルーム」がやたら強調されている

石川県の不動産あるある…「サンルーム」がやたら強調されている

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年11月10日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、「石川県にはサンルームが多い?」という話題について取り上げていました。たしかに、広告などに載っているアパートなどの間取りにも「サンルーム」の文字をよく目にします。ここまでサンルームが多いのは、石川県の特徴で、他県の人は「サンルームって何?」、「日光浴をするところ?」という人までいます。画像はイメージです(Alosh Bennettさん撮影、Flickrより)はっきりしない天候の北陸の人にとっては、なくてはならないものサンルームというのは、窓際などの採光部の一角を区切って、室内ですが日がよく差し込むようにした空間のことです。金沢のある不動産屋さんによると、人気の物件は、防犯設備が整っているものや、やはりサンルームがついたものだとか。サンルームは、30年ほど前、共働きの家庭が増えた時代に洗濯物を室内で干すニーズが増え始め、広まっていったそうです。北陸地方ははっきりしない天候の日が多く、外に洗濯物を干せないため、サンルームが重宝したのです。石川県の県営住宅には、ほとんどの物件に設置済みなのだそうです。サンルームは、共働きが増えた時代の経済成長を支え、かつ、陽の光を大切にした県民にとっては欠かせないものなのですね。(ライター:りえ160)

石川県民が偏愛する「頭脳パン」 本当に頭が良くなるのかどうかは...?

石川県民が偏愛する「頭脳パン」 本当に頭が良くなるのかどうかは…?

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月8日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、「頭脳パン」の話題が取り上げられていました。賢そうな博士の絵が書かれているレトロなパッケージは、昭和35年の発売から55年経っても、県民に愛され続けています。レーズンたっぷりでもちもちの県民にはお馴染みのパンですが、県外の人は知らない人が殆どなのです。      伊藤製パンウェブサイトより  なぜ、県内だけに売られているのでしょうか?頭がよくなるかは、努力次第1960年に、ビタミンB1は、頭の働きをよくするという説がでました。その時に、ビタミンB1を含む小麦粉、「頭脳粉」なるものが頭脳パン連盟から開発され、全国で販売されました。しかし、ブームが終わると周りは製造を中止し、今では頭脳粉を製造しているのは、金沢市米泉町にある「金沢製粉」だけとなってしまったのです。砂糖やレーズンが入ったパンは当時は珍しく、また甘いもの好きの石川県民にこの「頭脳パン」は、需要があったようです。そして、昔ながらのおいしさが今でも愛され続けています。ちなみに、ビタミンB1は、糖をエネルギーに変えるのに必要な成分で、より脳を活性化してくれる効果があります。頭脳粉は、このビタミンB1を普通の小麦粉の2倍含んでいます。そんな頭脳粉で作られた頭脳パン、受験シーズンには売上が伸びるそうですが、本当に頭がよくなるのかについては、「このパンを食べて、たくさん勉強してください」とパッケージに書いてあるのみです。でも、そんなの関係ねえ〜ほど美味しいんですよね。(ライター:りえ160)

金沢駅の金沢港口にある巨大なモニュメント、いったい何の形なの?

金沢駅の金沢港口にある巨大なモニュメント、いったい何の形なの?

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年11月9日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、JR金沢駅の金沢港口にある巨大モニュメントについて話題になっていました。      金沢駅前にある問題のモニュメント(Bankuさん撮影、Wikimedia Commonsより)  あのモニュメントは、一体何の形をしているのでしょうか?「能登半島の形」、「石川という字をモチーフに」、「金沢の道路と同じ形」などなどいろいろな意見が出てきました。新しい金沢のイメージ実際に、モニュメントのそばまで行くと、「金沢市制百周年記念事業モニュメント」とあり、「悠よう」という題で「蓮田修吾郎」という金沢出身の造型作家が作ったものだと記載がありました。活力、魅力、潤いのある新しい金沢をイメージして未来に向かって悠然と伸びゆくことを願っているそうです。金沢ふるさと異人館にて、作家の蓮田修吾郎さんについて調べると、金沢駅以外にも西武緑地公園や歴史博物館などのモニュメントも手がけていることもわかりました。ぜひ全てを見比べてみたいものですよね。そして、モニュメントの形ですが、カタカナで「カナザワ」と読めるようになっているそうです。と、いっても単純に「カナザワ」だけでなく石川県の形などもイメージしたのだろうと思われます。ちなみに「ワ」は、横向きになっており、首を横に傾けてみると読めるそうです。これはもう金沢駅に行って確かめるしかありませんね!(ライター:りえ160)

灯油を入れるポリタンクといえば...? 東「赤色」西「青色」

灯油を入れるポリタンクといえば…? 東「赤色」西「青色」

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年11月10日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、灯油を入れるポリタンクの色について討論がなされていました。石川県では、灯油を入れるポリタンクは「青色」で、県内のホームセンターにも青しかありません。しかし、関東の方にいくと「赤色」が定番なのだそうです。      赤と青の灯油用ポリタンク(橄欖岩さん撮影、Wikipedia日本語版より)  北陸では、青!富山と新潟が分かれ目県内に住む県外出身者によると、神戸では青、群馬では赤、宮城でも赤だそうで、青い色のポリタンクを使う人にとっては、「赤は危険な感じがする」、赤色ユーザーからしてみれば「青は水が入っているイメージ」など、思いも様々です。そこで、どこが赤と青の境界なのか、中部地方のカーマホームセンターを調べてみると、静岡県沼津市では、赤と青を取り扱っているとのこと。北陸では、富山と新潟の県境、岐阜と長野の県境に赤と青の境目がありました。「青」が当たり前と思っていましたが、二つ県をまたぐと「赤」になるのですね。もともと灯油は、ブリキ缶などに入れていたのですが、昭和42年ころから乳白色のポリタンクに入れるようになりました。ところが、昭和52年に色を付けることが義務付けられたのです。関東地方では危険を促す「赤」が、関西地方ではコストが安く済む「青」が定着したと言われています。ちなみに、色をつけることで紫外線による灯油の劣化も防ぐことが出来るとか。面白い雑学を知ることができましたね。(ライター:りえ160)

金沢マラソン盛況だったけど...観光シーズン・七五三などと衝突で市民は賛否両論

金沢マラソン盛況だったけど…観光シーズン・七五三などと衝突で市民は賛否両論

2015年11月15日、金沢市では初めての本格的フルマラソン大会「金沢マラソン2015」が、同市内で開催された。参加した市民ランナーは約1万1800人、ボランティア約6000人。市内広坂通りから石川県西部緑地公園陸上競技場までのコース沿道に詰めかけ、声援を送った観客は20万人(主催者発表)を超えた。金沢マラソンなう。百万石まつりと比べると、人は多いもののそれほどでもないみたい。ちなみに、金沢駅からルキーナの手前なうで。 pic.twitter.com/sk9HC7qjKW- NOEL (@NOEL122680) 2015, 11月 15金沢マラソン、ゴール地点。ランナーの皆さんお疲れさまでした。 pic.twitter.com/XSkpL78SIX- みー姉 (@michannechan) 2015, 11月 15北國新聞、安定の金沢マラソン pic.twitter.com/A1PAIqkadm- こうたつ (@yoneari) 2015, 11月 15折からの雨をものともせず、参加ランナーは、香林坊、寺町、東山など市内の観光名所を巡るコースを駆け抜け、金沢初のフルマラソンは盛況のうちに終了した。沿道で協力したボランティアや主催者側はホッと胸をなでおろしたことだろう。一方、市民や観光客には、開催に伴うさまざまな「しわ寄せ」もあったようで、ツイッターなどでは憤慨する声も聞かれた。ノーマイカーデーなのに、バスは運休?金沢駅(Yuko Haraさん撮影,flickrより)ツイッターに投稿された厳しい意見とは、下のようなものだった。実は金沢に旅行で来てるんだけどね。今マラソンやってて、全然移動できない。観光させる気が全くない。迂回ルートを警備や警察に聞いても『終わるまで我慢しろ』の一点張り。最低の対応。二度と来たくない。- jun-1-san (@since2003_the) 2015, 11月 15金沢市「11月15日は金沢マラソンなのでノーマイカーデーです。公共交通機関をご利用ください」北鉄バス「兼六園周辺と金沢駅の間はバスは運休です」金沢駅まで行きたいときはマラソンランナーと並走しろと?- ひろあき (@hiro7917) 2015, 11月 4金沢マラソンの11/15は、浄土真宗東西金沢別院の報恩講の真っ最中。加えて神社では、本来の七五三詣りの日!何でこんな日に市内移動不可状態にするんだろ?伝統的慣習より、いっときの集客力を優先した結果か?加賀百万石に伝統宗教行事は不要というメッセージか(~。~;)?- 本願寺派 養法寺住職 (@youhouji) 2015, 11月 7「ノーマイカーデーなのに、バスは運休」だったようだ。おまけに神社では「七五三詣りの日」だった。こんな日に市内移動不可状態とは、どういうこと?という意見だ。金沢マラソンには海外から多くの出場選手(観光客)が来日します。彼らは走りながら金沢を観光しているのです。その気持ちを考えてのコース設定でしょう。金沢の中心地に自動車は必要ありませ..「金沢マラソンを二度と開催すべきではない理由」 https://t.co/GLYC0GpTX5- ピッピちゃん  (@arcturus7200) 2015, 11月 16金沢は車がないとマジ生きていけない地域だからなあ。車あっても道が複雑で細めで移動が大変。そこに只でさえ路線の充実していないバス運休してタクシーの通る道すら塞がれていたら移動は不可..「金沢マラソンを二度と開催すべきではない理由」 https://t.co/HuzyjQtjO3- ほのか (@N9Kaori) 2015, 11月 16市街地に名所が固まってる中で名所めぐりマラソンコースでやったらしい。そりゃ交通規制激しいし、観光客が見たいところが見れなくなるだろう。欲張って全部巡らずにコースを変えて「次はこの..「金沢マラソンを二度と開催すべきではない理由」 https://t.co/xMGK684qJ8- 羽倉田 (@wakurata) 2015, 11月 16金沢マラソンは、市の中心部や歴史的景観が残る観光地などをめぐるコースで行われた。ランナーたちには大満足だっただろうが、マラソンと無関係の観光客や、休日のお出かけを楽しもうとした市民と、正面からぶつかる形になってしまったことが、一部の不満を生んだようだ。マラソンと雨でめっちゃ空いて......ツイッターには、ひがし茶屋街の写真が投稿されている。ひがし茶屋街です。マラソンと雨でめっちゃ空いてますw#ぴょこトラベル pic.twitter.com/YzLPGEcNCc- ぴょこ (@ppppyokoooo) 2015, 11月 15今日は姪っ子の七五三。金沢マラソンと重なりいつもより閑散としたひがし茶屋街でしたが、観光客の撮影会となり盛り上がったようです。みんなニコニコ、happyなお写真を送ってもらいました  pic.twitter.com/xAoSKtU6bz- 茶谷怜花 (@yumeruri) 2015, 11月 15たしかにいつもの週末に比べると、閑散としているようだ。回を重ねて改善していくしかない一方、こんな前向きな意見も寄せられていた。交通制限や観光地への影響はどの地域マラソン大会でも起き得る事のはず。これは回を重ねて改善していくしかない。二回目で改善が無ければ、流石にまずいですが...「金沢マラソンを二度と開催すべきではない理由」 https://t.co/Itfzgb6cx4- ざ_な_く&890PorT (@z_n_c_890_P) 2015, 11月 16地下鉄の有無は大きいね。観光地アピールと利便の良バランスを念頭に関係者は努力するしかない。声の大きなクレーマーにいちいち屈してたら街を挙げてのイベントなんか何も出来ないぞ。 / "金沢マラソンを二度と開催すべきではない理由 - ..." https://t.co/noVP4RFTKt- 新 (@arata2515) 2015, 11月 16さあ、皆さんはどうお考えだろう。

石川と富山の県境「倶利伽羅」...ところでクリカラって何?

石川と富山の県境「倶利伽羅」…ところでクリカラって何?

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年11月3日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、「倶利伽羅の謎」について調査していました。      「道の駅倶利伽羅 源平の郷」に飾られているモニュメント。倶利伽羅峠の戦いを記念したもの(Bakkaiさん撮影、Wikipedia日本語版より)  石川県と富山県の境にある「倶利伽羅」。津幡町にあるのですが、富山県の人の中には、富山にあると思っている人もいるそうです。変わった地名もそうですが、謎の多いところですよね。「倶利伽羅」は、インド由来の言葉急勾配の峠道を進むと到着する倶利伽羅。ここにある倶利伽羅不動寺は、日本三大不動の一つで、全国にもその名を馳せています。毎月28日はお不動産の日でたくさんの人がお参りに訪れています。倶利伽羅不動寺という名は、地名が由来なのですが、もともとは西暦718年にインドの高僧が倶利伽羅不動明王を安置したのが寺の始まりだそうです。奥の院に安置されたそのお姿は、剣に黒い龍が巻き付いた珍しい不動明王なのだとか。そして、その黒い龍というのが、インドの古典であるサンスクリット語で「クリカ」ということから、「倶利伽羅」という名になったそうです。黒い龍は、不動明王の力であり化身として知られ、あらゆる災いを断ち切り幸運をもたらす不動明王。なんともありがたい名前です。倶利伽羅不動寺は、県境ちなみに、この倶利伽羅不動寺の境内に県境があるので、「倶利伽羅」という地名は富山にも馴染み深いものです。さらに源氏と平氏の合戦・倶利伽羅峠の戦いの一番の激戦地は富山県小矢部市だったそうです。これからも両県で大切にしたいですね。(ライター:りえ160)

「グーキーグーキーおっともーイエス!」 金沢でしか使わない不思議な言葉の謎

「グーキーグーキーおっともーイエス!」 金沢でしか使わない不思議な言葉の謎

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年11月4日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、金沢の子供たちによる、グループ分けの時の不思議な声かけの謎について調べていました。金沢の子供たちは2グループに分かれる時、「グーキーグーキーおっともーイエス!」と、かなり特徴のある声かけをします。この掛け声の由来は一体何なのでしょう?      画像はイメージです  方言を耳で覚えて変化先程のような声掛けをしているのは、ほぼ金沢だけ。白山市になると「グッパーで組み作りましょうね。」加賀市は、「グッパーでポン!」、小松市「グーキーグーキーじゃんけんぽん!」、輪島市は、「グーとパーで別れましょ」と意味が明確に分かる声掛けです。金沢の子供たちもその意味を知らないので、大人にも聞いてみると、「おっともんやす!」「おっともーやす」など、正しい言い方を知らず早口でごまかしたりしていました。方言を研究している金沢大学の加藤教授によると、もともとは、グーとチョキで一緒になった者同士「合う」という意味の方言「おうたもんや」が原型ではないかということ「グーキーグーキーおうたもんや」→「おっともんや」→「おっともんイエス」。もともと方言は文書に書かないので、耳で覚え、都合よく解釈されて変わってきたのだろうということです。「おっともん」から「友」を連想していましたが、違いました。それにしても、面白い変化ですよね。(ライター:りえ160)

石川県民も意外と知らない「加賀」と「能登」の境界線

石川県民も意外と知らない「加賀」と「能登」の境界線

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月8日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、「能登と加賀の境界線はどこなのか?」について調査していました。街頭でインタビューしてみると、「津幡町と内灘町の間」、「かほく市と津幡・内灘の間」、「宝達志水町とかほく市」などなどいろいろな意見が出ていました。聞かれてみるとはっきりとわからないものですよね。天気予報はどこで分けている?天気予報ではよく「加賀地方」、「能登地方」の天気に分かれているので、金沢気象台ではどこを境目としているのか調べてみました。気象台では、気象特性、災害特性、地理的特性により、宝達志水町までを能登、かほく市、津幡町からを加賀というふうに分けているそうです。国境の街・かほく市(siiさん撮影、Flickrより)加賀は山地で積雪が多く、能登は日本海に突き出し季節風の影響を受けやすいのです。その差が顕著に現れるのが冬で、能登の平均降雪量は201cm、冬日は47.1日に対し、加賀の降雪量は281cm、冬日26.2日というデータがあります。同じ石川県でも結構違いがあるのですね。昔ながらの境界線さて、境界に近い宝達志水町の人は加賀・能登どちらの天気予報を見ているのでしょうか?加賀だったり、能登だったり、両方だったりいろいろな意見がありましたが、富山の天気も参考にする忙しい人もいらっしゃいました。そして、この宝達志水町の人は、口を揃えて「能登と加賀の境界は、大海川」だと。実際、今から1000年前から、大海川は能登国と加賀国の境目であったそうです。昔から境界線というものは存在するのですね。(ライター:りえ160)

石川県では他県より夕日がきれい? 噂の真実は...

石川県では他県より夕日がきれい? 噂の真実は…

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月26日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、石川県の夕日はきれいだと言われる謎について迫っていました。石川県羽咋市の夕日(U-ichiro Murakamiさん撮影、Flickrより)石川県だけでなく、日本海側の夕日は太平洋側の夕日に比べてきれいだということは、よく言われています。これをお天気との関連を疑って金沢気象台の天気のプロに尋ねてみました。大気と光の関係ちなみに各地の気象台は、建物の最上階のフロアにあることが多く、こまめに定期観測したり、空を見通せるようになっているそうです。しかし、同じ気象条件で日本海側と太平洋側の夕日を比べたことがなく、本当にきれいなのかはわからない、と。夕日は西に沈むので、太平洋側では山に沈む夕日が多いのに対し、日本海側では水平線に沈むことが多く、太陽の沈む角度によって光が大気から受ける影響に違いが出るのかもしれないとのことです。山に沈む夕日よりも、海に沈む夕日の方が、光が大気を通る距離が長くなり、赤く見えることが多くなるというわけです。少し難しいですが、空気が澄んで空が高く見える日ほど夕日がきれいということなのですね。(ライター:りえ160)

石川県民「えっ、イトメンのチャンポンめんって全国区じゃないの!?」

石川県民「えっ、イトメンのチャンポンめんって全国区じゃないの!?」

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月20日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、実は「チャンポンめん」は石川県で飛びぬけて人気なのだという話題がのぼっていました。      公式サイト  兵庫県のメーカーである「イトメン」が開発したインスタントラーメンである「チャンポンめん」は、昭和38年に発売されてずっと変わっていないロングセラー商品です。石川県民にとっては、スーパーなどでもよく見かけ、必ず家にストックのあるラーメンですが、実はこのような習慣があるのは、石川県民だけなのです。そもそもチャンポンめんは全国区ではなく、製造元のメーカーがある兵庫県をはじめとした14の県にしか販売されていません。そして、石川県の売り上げは、兵庫県と並んで1位。当たり前のように食べているチャンポンめんは、他県の人は知らない人がほとんどなのです。なぜ石川に根付いた?これほど石川県に根付いた理由は、まず、営業マンが各地を回った際に石川県の小売店で気に入られ、その結果、営業マンが熱心に営業を続けていたから、ということと、もうひとつは、石川県民の口に合うあっさり味だったからである、と言われています。そもそもチャンポンめんの名前の由来は、いろんな具材をいれてほしいという願いが込められており、あっさりとした味になっています。このあっさり味は、関西人が好むように開発されましたが、加賀料理などシンプルで上品な味を好む石川県民に広くとりいれられたのでないかということです。とある石川県の家庭では、酢、タバスコなどを入れアレンジして食べる方も見受けられました。アレンジもしやすく上品で県民に愛される味、ぜひ石川県からどんどん発信して全国区になってほしいものですね。(ライター:りえ160)

石川県民「百万石っていうけど、お金でいうといくらぐらいなんだろう」

石川県民「百万石っていうけど、お金でいうといくらぐらいなんだろう」

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月19日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、百万石っていくら?という疑問について調べていました。百万石の本拠・金沢城(Kentaro Ohnoさん撮影、Flickrより)金沢と言えば「加賀百万石の城下町」、百万石と言うとやはり煌びやかなイメージ、豪華絢爛、加賀料理や九谷焼の美しいイメージがありますし、「石川ミリオンスターズ」、「ひゃくまんさん」など、スポーツの球団名やイメージキャラクター、各種イベントなどの名前にも取り入れられており、石川県を語るにあたってはなくてなならない言葉ですよね。徳川幕府も警戒する驚きの経済力しかし、百万石ってどれくらい?と言われても想像したこともない人がほとんどだと思います。昔は、土地の生産性を「石」という石高で表していました。主に米の生産見込みだったのですが、石高が多いほど土地も大きく、米もよく採れることになります。さて、実際なのですが、加賀百万石というと江戸時代に入ってすぐからと思いがちですが、実は、前田利家が能登に来たときは、まだ百万石ではなかったのです。実際、百万石を超えたのは、関ヶ原の戦いの後、前田利長が、加賀、越中、能登の3カ国を合わせた時です。122万5千石の日本最大の藩である加賀藩が成立しました。そして、百万石の米の量ですが、18Lのポリタンク1000万個に相当するとのことです。重さにして150,000,000キロ、想像もできない量で、お金に換算すると600億円もあります。さずがに豪華なイメージのある加賀百万石だけあり、かなりの経済力があったのですね。(ライター:りえ160)

石川県民が愛する「8番らーめん」! その意外な舞台裏とは

石川県民が愛する「8番らーめん」! その意外な舞台裏とは

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月13日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、「8番らーめん」を特集していました。8番らーめん(monoprixgourmet_bisさん撮影、Flickrより)8番らーめんといえば、石川県民のソウルフード!外食といえば8番らーめんというご家庭も多いのではないでしょうか?県内に50店舗、日本国内に125店舗、現在では海外展開もしています。フライパンの「マイスター」たちが支えるあの味8番らーめんは、昭和42年第一号店が国道8号線に店舗を構えたことからその名が付けられました。当時石川県にラーメン専門店がなかったこと、インスタントラーメンブームが到来していたことがオープンに至った理由だそうです。8番らーめんと言えば、「8」の字をあしらった「ハチカマ」と太い縮れた麺、野菜たっぷりが特徴です。野菜はシャキシャキ感を出すために強い火で炒め、スープで煮込み、さらに炒めて歯ごたえを出しています。この味は、フライパンマイスター制度や日頃の成果を競うコンテストの開催など、独自の認定制度でスタッフの腕を磨き受け継がれているそうです。8番らーめんは、フライパンの達人が作るこだわりのラーメンなんですね。絶頂期には、1日1300杯を売り上げたこともあるとか。これは、1時間で150杯を9時間作り続けた計算になります。また、メニューの選択肢も多いので、必ず自分の好きな味が見つかるのも人気の秘密ですよね。あの世界的パティシエ辻口博啓氏もこよなく愛しているとか。「なんでやろ?8番」のCMのキャッチフレーズのように、また思い出して食べたくなってきましたね。(ライター:りえ160)

にし茶屋街、ひがし茶屋街と来て...なぜ「主計町茶屋街」だけ町名?

にし茶屋街、ひがし茶屋街と来て…なぜ「主計町茶屋街」だけ町名?

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月15日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、金沢三茶屋街は、「にし茶屋街」「ひがし茶屋街」と方角の名前がついているのにどうして「主計町茶屋街」だけ町名なのか?という疑問についてとりあげられていました。主計町茶屋街(Hiroyuki-Hさん撮影、Flickrより)主計町茶屋街は、バーやアトリエなどもあり、趣がある中にもどこか現代的なものも感じる茶屋街で旅行客にも人気があります。しかし、なぜ仲間はずれのような名前なのでしょうか?藩の政策ではなく自然発生の茶屋街お茶屋はお茶を飲んで楽しむ場所ですので、もともとは一軒ずつあったのですが、江戸時代に数が多くなりすぎ統制できなくなったため、加賀藩は金沢城を挟んで犀川より西を「にし茶屋街」、浅野川より東を「ひがし茶屋街」と統制しました。ちなみにこの時代、武士はお茶屋に行くことを禁じられていたので、主計町にお茶屋は存在しませんでした。しかし、明治時代になると、また次第に転々とお茶屋が出来始めます。藩の政策ではなく自然発生的にできた茶屋街なので、そのままの町名を利用することになりました。ですので、他の茶屋街とも少し異なり、大通り上に揃って軒を連ねておらず、路地などにも転々と店を構えているわけです。このような裏事情があったわけですね。(ライター:りえ160)

H&M以外にも多数...新商業施設「片町きらら」、そのラインアップは?

H&M以外にも多数…新商業施設「片町きらら」、そのラインアップは?

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月7日放送の「千客万来商売繁盛 招金ちゃん」のコーナーで、9月18日にオープンした商業施設「片町きらら」から中継をおこなっていました。今、石川県でもっとも注目されているスポット、北陸初、石川初のお店がたくさん入っています。H&Mの北陸初出店が、一番の目玉ですが、まだまだたくさんおすすめのお店があるんです。      公式サイト  アクセサリーショップや個性的ファッションのお店AneMone(アネモネ)も石川県で初出店のアクセサリーショップです。ヘアアクセサリー中心ですが、パーティーアクセサリーも豊富に取り揃えられています。今年の秋の注目は「マルサラ」。赤にブラウンを足したワインレッドのような色のアクセサリーです。落ち着いた中にもかわいらしさのある色ですよ。また、季節ごとに商品も入れ替えられ、いつも違った発見をできるお店となっています。そして、Dezigual(デジグアル)。店内の天井には瓶が埋め尽くされています。スペイン語で「他とは違う」といった意味のある店の名前のとおり、個性的でインパクトのあるデザインが特徴のお店です。今年のおすすめは。カラーコート。近くに寄ると細かいデザインが施されているのがとってもおしゃれで、皆と違ったものを持ちたい方におすすめです。見ているだけで楽しいロフト!また、金沢ロフトも片町きららの目玉の一つです。店内は見ているだけでワクワクするグッズで埋め尽くされ、広い店内には、3万種類以上の商品がおかれています。おすすめは「ワナドゥ手帳」。自分の趣味に合わせて持つことのできる手帳です。60種類あり、自分の趣味にぴったりあったものが見つかるはずです。秋の行楽シーズンに合わせたロフトオリジナルのスーツケースもおすすめです。飛行機の機内に持ち込みできる最大サイズで作られており、しかも、軽量・丈夫。ひとつ持っておきたい商品ですね。(ライター:りえ160)

石川県はなぜ「金沢県」じゃないのか...真相は意外なところに!

石川県はなぜ「金沢県」じゃないのか…真相は意外なところに!

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月6日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、「なぜ石川県は、「金沢県」じゃないの?」という話題が登っていました。旧石川県庁(irenelamさん撮影、Flickrより)たしかに「石川」より「金沢」方がブランド力、知名度ともにありますよね。実際に金沢に訪れている観光客に、「ここは何県?」と尋ねると速やかに石川県と答えられたのは52名中45名でした。ちなみに47都道府県中、県庁所在地と都道府県名が違うのは18県あるそうです。「金沢県」の時代もあった!実は、「金沢県」が存在していた時期もあったのです。明治2年の天皇に版(土地)と籍(人)を返還する版籍奉還では、原則として藩庁のある場所を藩名にするとの決まりで加賀藩は金沢藩と改名されました。そして、明治4年の廃藩置県で、金沢藩は金沢県と改名されます。しかし、北陸地方は、金沢県、富山県、大聖寺県などと面積もばらばらで土地も2つに分かれた複雑な地図になっており、明治5年に石川県、七尾県、新川県と整理されてしまいます。金沢は石川県の端っことなってしまったために県庁は美川に移されてしました。美川町は石川郡にあったために「石川県」と命名されました。      内田政風(Wikimedia Commonsより)  ところが結局、明治6年、七尾県が廃止となったために再び県の中央である金沢に県庁をもってきたという話です。でもそのときなぜ「金沢県」と改名しなかったのでしょうか?それは、当時の県令(県知事)だった内田政風が薩摩藩出身で、それほど金沢にこだわりがなかったためと言われています。新しい時代が切り開かれていった明治維新で、このようないきさつがあったのですね。(ライター:りえ160)

兼六園といえば「灯籠」なのは何故なのか?

兼六園といえば「灯籠」なのは何故なのか?

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月5日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、兼六園の見どころについての議論が交わされていました。兼六園は、石川県を代表する観光名勝。日本武尊像、唐崎の松、根上の松など、ついつい記念撮影したくなるスポットが満載ですよね。そんなたくさんのスポットの中でも兼六園のシンボルと言えば「徽軫灯籠」です。シルバーウィーク中のとある日も、この徽軫灯籠前で記念撮影した人は1時間で104組という結果でした。徽軫灯籠(TANAKA Juuyoh (田中十洋)さん撮影、Flickrより)なぜ、徽軫灯籠が兼六園のシンボルとなったのでしょう?昔は、旭桜がシンボルだった!実は、昔、兼六園のシンボルは「旭桜」と言われる大きな桜の木でした。前田のお殿様がこの桜を気に入って、武家屋敷から50軒もの家を壊してまで兼六園に運ばせたそうです。よほど見ごたえのある桜だったのでしょうね。現在の旭桜は2代目(lensonjapanさん撮影、Flickrより)しかし、昭和12年頃までにこの旭桜は枯れてしまいます。そこで白羽の矢が立ったのが徽軫灯籠です。昔は、両足の長さが同じでしたが片方が壊れてしまい、今の場所に移されました。この絶妙なバランスも怪我の功名といったところでしょうか?不均等の造形美を好む日本人に受けて、第2のシンボルとして見事に定着したわけです。今は定番の徽軫灯籠にもこのようなストーリーがあったのですね。(ライター:りえ160)