東日本大震災の後、仕事やボランティアなどで何度も被災地に通いました。その時に聞いたある漁師さんのお話がとても印象的に残っています。漁師にとって船は何よりの財産。そのため、津波の恐れがある際は、漁船を沖合に係留して津波を避ける「沖出し」をすることもあるそうです。その漁師さんは、先代から津波の常襲地であることを聞いていたため、家族には常々「何かあったら沖に出ていてしばらく戻れないかもしれない、無線も通じないかもしれない」と伝えていました。そして「だからこそ家族には安全な場所で暮らして欲しい」と、港から離れた高台に家を建てました。そして、あの時、家族は高台の家で津波の被害を免れることができ、無線が津波直後に1回だけしかつながらなくても、お互いの無事を信じ、無事再会を果たすことができたそうです。
