家のコト

ゆるりまいさん “なんにもない化”

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あなたの思い描く理想の家とはどんな家だろうか。

本来、家というものは人を守ってくれるはずのもの。雨風から守ってくれ、疲れて帰ってきたらやすらぎの場を提供し、大事な家族と一緒に過ごしてまた次の日元気に暮らせるように力をチャージしてくれる場所、それが家だ。しかし暮らし方次第で家は敵にもなってしまうことも忘れてはいけない。自分の住んでいた家が凶器に変わった瞬間を、私は未だにはっきりと覚えている。

私の理想の家は、「なんにもない家」である。無駄なものは何一つなく、置いてあるものは皆、心の底から気に入ったものたちばかり。でもそれらも数は厳選されているのでごくわずかしかなく、室内は殺風景にも見えるほどガラーンとしている。そんな家がいい。多分大半の人には理解されないであろう理想の家だが、私にとっては最高の家だ。

私は、いわゆる“汚家(おうち)”で育った。母も祖母もものが捨てられない人だったので、家中がものだらけ。幸か不幸か、家族の中で私だけ片付けの才能に恵まれたようで、青春時代は孤立無援で家の片付けに奮闘する日々。しかし片付けても片付けても綺麗にならない我が家に幾度となくうんざりし、「こんな家はもう嫌だ!」と思うこともたびたびあった。
そんな思いが決定的になったのは、今から5年前のこと。2011年3月11日の東日本大震災である。宮城県仙台市に住む私たち家族は、家を失った。市の中心部に住んでいたので、津波被害はなかったものの、建物が古かったため全壊してしまったのだ。
もので溢れかえった家で体験した大きな揺れ。あの時の恐怖は、一生忘れることはできないだろう。
「あぁ私はこの家に殺されるんじゃないだろうか…」、そんなことを思った。あらゆる角度からものが降ってきて、それらは一瞬で凶器と化す。家が怖いと思ったのは、後にも先にもこの時だけ。今まで片付かない家に対してうんざりすることはあったものの、家に恐怖を感じたことは初めてだった。
揺れが収まっても、もので溢れた家は被害を大きくした。大事なものが見つからないのだ。懐中電灯、ラジオ、乾電池、カセットコンロにガスボンベ。どれも絶対持っていたはずなのに、見つからない。不必要なガラクタがそれらを神隠しのように隠してしまった。

「もう二度とこんな家にはしたくない…。安全安心な家に暮らしたい!」そう心から願った私は、再建した新居で徹底的にものの管理をした。また、ものだらけの汚家に住むのだけは怖かったのだ。片付けられない&ものが捨てられない家族を説得し、不要なものは徹底的に処分し、厳選した必要なものだけを持つようにした。
次に、そうして厳選して手元に残した“ものの置き方”にも十分に配慮した。何度も頭の中で「もし地震が来たら…?」とシミュレーションをして、家の中から外までの避難ルートを確認し、「収納は作り付けの棚だけにして、収納家具を持たない」、「背の高い場所にはものは置かない」、「割れやすい、壊れやすいものも極力置かず、どうしても置く場合は、固定するか滑り落ちないよう加工する」といった、基本だけどなかなか守れなかったことを徹底的に実行した。
ものがなければないほど、倒れてくるものもないし、割れて怪我することもない。なんにもない家は安全だ。少々極端であると自覚はしているが、大切な家族の命を守れる家にするため、新居はどんどん“なんにもない化”が進んだ。

無駄なものや危険なものはなんにもないリビング

無駄なものや危険なものはなんにもないリビング

防災グッズはまとめて取り出しやすい場所に

防災グッズはまとめて取り出しやすい場所に

 

こうして今、我が家は、かなり安全な家に近づいたと思う。殺風景に見えるけど機能的で、ものは少ないけれど、備蓄や防災グッズはしっかりある家になった。
洒落っ気はないけれど、命は守れる。そんな我が家を、私は心から愛している。

 

コミックエッセイスト
ゆるりまい
東日本大震災による自宅全壊で体験した恐怖や、身をもって学んだ防災知識を教訓に、大人3人と子供1人と猫4匹という大事な家庭を守るため徹底した「持たない暮らし」を実践。コミックエッセイ『わたしのウチには、なんにもない。』(KADOKAWA エンターブレイン)シリーズが人気に。■ブログ「なんにもないぶろぐ」http://nannimonaiblog.blogspot.jp/

月刊不動産流通2016年6月号掲載ƒ

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