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日本初のAI記者 過去記事で学習して執筆

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(OVO オーヴォより)

ネットの普及で、当然のごとく紙の新聞が不調。それでも、媒体をネットに移行すれば、中身を作る新聞社の役割はまだあると思いきや、AIが記事を書く時代到来だ。中部経済新聞創刊70周年を記念した特別企画として、データセクション(東京)が、AI記者による新聞記事の執筆に技術提供、その記事が同紙に掲載された。

まず、AIに過去の大量の新聞記事を読み込ませ、中部経済新聞の記者の文体などを学習。冒頭の何文字かを指定し(例えば、「70年代」など)、過去の新聞記事データを使い、その後に続く文章を生成させた。そして”執筆“された記事が以下。ですます調が混ざるところはご愛嬌(あいきょう)、一応要点を押さえた記事に仕上がっているのでは…?

【AI記者が生成した記事全文】

「中部経済新聞」は昭和二十一年十一月一日、焦土とかした市街地にはなお瓦嘩の山がうず高く残る名古屋市内で創刊いたしました。価値観の大転換が迫られる中で、中部の産業経済が大きく立ち上がるためのオピニオンリダーとして経済新聞を発行する大きな目標を掲げての創刊だった。

当時は、どこへ行くにももっぱら2本の足が頼り。だいいち、名刺を出しても相手はけげんな顔つきで対応し、こちらは取材の前に、本紙創刊の趣旨と中部経済圏とのつながりを一席ぶつことがお決まりのコースであった。

このような努カが連日重ねられ、創刊第1号をみんなが手に取って眺めた時の感激は、“筆舌に尽くしがたい”言葉どおりであった。

戦後の食べるだけが精いっぱいの時代から、特需景気から所得倍増による高度成長期、空前の災害をもたらした伊勢湾台風、環境破壊、公害による反省を経て世界を揺るがせた石油ショック、1ドル=70円台まで進んだ超円高で、業績を大きく揺さぶられてきた中部の自動車関連産業。

幾度となく厳しい試練が訪れ、その都度、中部企業は底力を発揮し乗り越えてきた。多くの企業が難局に立ち向かい、モノづくりを持続させるための戦いに挑んでいる。

今日まで七十年、歩み続けて参りました道程は、決して平たんではありませんでしたが、そのつど、正確、公正、迅速な報道への使命感と、みなさまの温かい励ましで今日を迎えることができました。

中部経済新聞は今後も、つねに“地元のお役に”をモットーとして地域経済の現状が把握できる経済情報を集めて、未来像を指し示す努カを続けていく。

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MATOME