街のコト

白川由紀さん「蘇った“空き家”」

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(あ。鳥まで住み着いている……)。ツタが絡まり、蜘蛛の巣だらけ。東京都八王子、高尾山のほど近く。かつて親子3世代が暮らした2戸の戸建て+庭(190坪)は、手の施しようがない空き家となっていた。
「アパートを建てる?」と思ってもローンが組めず。「売る?」には傾斜地&無駄に広いため造成が必要。「そのまま賃貸?」なんて今風じゃないから難しい。「もう八方塞がりだわ…」と涙を拭っているところに救世主の友人が現れた。彼は建築家じゃないし、設計士でもない。でも自分の手1つで次々と古い建物に新しい命を吹き込み、四国・観音寺で中東をイメージした個性的な カフェ&骨董品屋さんをやっている。彼は、草ぼうぼう、廃屋寸前の私の家の前に立つと、ニッコリしながらこう言った。「ここは風が吹き抜ける素晴らしいカフェになる。来訪者みんなが喜ぶ顔が見えるよ」。

私の本来の仕事は海外の現場取材やコーディネート。100ヵ国あまりを歩く中で、車や家を自作する人は主にヨーロッパで数多く見てきたけれど、まさか自分でやることになるとは想像もせず。手にしていたマウス&キーボードを電動工具に持ち替え、悪戦苦闘する日々が始まった。
周囲にはことごとく反対され、たった1つの頼みの綱は、見本を見せてくれる救世主の友人だった。いずれにしても他の道は閉ざされているのだから、彼のアイディアに委ねるしかなし。しかし、これが文章で紙の上に理想を表現するのなら、そう時間はかからないのだけど、現実的に空間に理想を表現しようとすると、とてつもなく時間がかかる。あまりにも先のことを考え過ぎてプレッシャー負けしそうになる私に、友人はこう言った。「例え200坪の土地でも毎日1m²ずつ創り上げていけば、“たった2年”で終わる。オレでもできたんだから、きっと誰にでもできる」。騙されたと思って6畳の部屋の 壁を珪藻土で塗ってみたら、2日で見違えるほどモダンな部屋に劇的チェンジ!「だろ?ケーキのホイップクリーム塗るのと一緒だよ」と彼はニヤリと笑った。

やっていることはいわゆるDIYだけれど、それ以上の何かを教えてもらった。業者さんじゃなくてはできないと思っていることの多くが、努力すれば自分でもできた。やってみるまでは、ペンキの缶の開け方さえ知らなかった私。それが「これは無理」から「こうすればできる」という方向に発想転換できるようになったのは、始めてから2ヵ月目になる頃。そこからは“自分の手で創る”作業が楽しくて仕方がなくなった。友人は言う。「既製品がこれだけ溢れる時代だからこそ、自分流にカスタマイズした衣食住の中で生活できるって、それ以上の贅沢はないと思うんだよ 」。6畳間の完成に3日。昭和40年代築の延床面積80m²の戸建てに6ヵ月。そこで自信をつけて、昭和50年代築のもう一つの戸建て延床面積120m²の改修に1年。そのほか庭とエントランスまわりの整備を含めれば、DIYを始めた日から3年が経過していた。

自己満足はやがて公共の満足へと広がっていった。2006年に右も左も分からないままにDIYを終えた家でカフェ「TOUMAI」を始め、今年10年目を迎えた。お世辞にも立地条件がいいとはいえない場所でこれほど続けることができた理由はただ1つ。個性的な表情を持つお店だから、個性的なお客さまが情熱だけで支えてくれた。190坪の敷地内では、カフェ「TOUMAI」、クラフトショップ 「Amahina」、宿泊施設「villa 高尾山」が仲良く併存。隣接のワークショップルームでは多彩な企画が催され、庭は1日1組だけの結婚式やヨガのワークショップなどに利用してもらっている。手の施しようがなかった“泣いていた”空き家に、10年後、これだけたくさんの笑顔の花が咲くとは、あの時、友人以外の誰が想像しただろう。
今やここの使命は、単なるカフェやショップじゃない1つの連結した横断的コミュニティ、つまり“現代版の長屋”であることだ。そこに人々の笑顔の花が咲き続ける限り、空間は温もりを持って命をつないでいく。そんなことを想う秋。

 

フォトエッセイスト
白川 由紀
ユーラシア大陸横断バス、アフリカ 縦断バス、南米大陸縦断バスの企画立案から遂行までを6回、その後は短期旅行のプロデュースに従事し、これまでに訪れた国は100ヵ国余り。現在は“それでも地球は素晴らしい”をモットーに、旅先で得た知識&知恵を、執筆、講演、旅の企画などを通じて紹介、さまざまな活動により世界の広さを伝え続けている。著作は『もっと世界を、あたしは見たい』(ポプラ社)、『出逢いの瞬間』(東方出版)など多数。

月刊不動産流通2016年12月号掲載ƒ

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