家のコト

村上 祥子さん「キッチン改築28回!行き着いた先はシンプル」

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大学4年生のとき、夫と出会い、卒業と同時に結婚。地の果てまでもついていく、と覚悟を決めました。以来、転居すること16回。行く先々で借家や家具をリフォーム・リメイクし、今も~ing状態です。
結婚後は社宅生活でしたが、東京、北九州、大分と8軒の家に住みました。一軒家あり、マンションあり、いずれも会社の管理下にありましたが、許可をもらってできる範囲で改築。ある木造住宅では、廊下の途中に板壁を建て、台所と和室と廊下をつないで1LDKにしてみたりしました。

その後、成城に自宅を建てたものの、またもや夫の転勤で北九州の敷地400坪の社宅へ。ここも自分流に改造すること3回。そして、1990年に念願のマイホーム兼クッキングスタジオを福岡に建築しました。94年に、出版の仕事用にマンションを購入し、96年に東京西麻布にクッキングスタジオを設けたころから、よりダイナミックに改築するようになりました。
西麻布のスタジオは1階にあった貸事務所をキッチンスタジオに改築。名のあるデザイナーにたのんで、マドリッドのピカソ美術館の中にある学究員の研究室仕様にしてもらい、レシピを収めたバインダー4000冊でキッチンの四方を囲み、悦に入っていました。ところが、自然光の入らないスタジオなんて…と撮影に訪れたカメラマンたちから大ブーイング。結局、改築後6ヵ月で全体を改築することに。

その後、道を挟んだ築40年の外国人向け木造アパートがレトロチックで撮影にぴったりだったので、部屋を借りてエアコンを付けたり、お風呂を付け替えたり…。そうこうするうちに、スタジオの上に入居していた会社が転居し、そこも借り受け、私室に改装。さらに、4階にペントハウスを見つけ、中の家財をビルのオーナーに処分してもらって、スタッフの住まいに…と、こんな具合にいくらでも限りなく改築は進んでいきます。

その西麻布のスタジオを設けたころから、福岡と東京を飛び交うようなりました。それまでは福岡で出来る範囲で、料理を自分で作ることを伝えていました。が、舅も父も亡くなり、子供たちも大学生となり、自分に残された時間で全国の方々に「ちゃんと食べて、ちゃんと生きる」を伝えたいと思い立ったのです。以来、年に100回は飛行機に乗ります。依頼があればどこまでも、旅費さえクリアできれば出かけて行く、と決めているのです。

そんな私自身の食を支えているのは、「シンプルキッチン」です。仕事で使うキッチンスタジオは、時代のニーズに合わせて、どんどん仕様をチェンジしていますが、これまでの改装の経験から、自分が「ちゃんと食べて、ちゃんと生きる」ためには、キッチンの作りは簡単で構わないと悟ったのです。

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シンプルキッチン。食器は洗ったら棚に付けたフックに掛けておくだけ

スタジオの華やかさとは裏腹に、今、暮らしている福岡のスタジオにある自宅のキッチンは、独立した娘が使っていた部屋を改装したものです。4.5帖の中に食卓も調理台も流しもIHヒーターもオーブンレンジもトースターもコンパクトに収めました。家電はスタジオのものとは違って旧式。オーブントースターで魚を焼き、レンジで小松菜をチンしておひたしを。IHヒーターでみそ汁を作り、小松菜をレンジから取り出し、冷凍ご飯を温める…とこんな感じです。

今は2人暮らしですから、基本的に食器は何でも2個。皿も茶碗もお椀も各2個ずつです。ただし、朝は私一人でミルクティーを2杯飲むので、マグカップだけは3個あります。朝食が済んだら、すぐ洗って拭いて、使える状態にしておけば2個で十分。夕食もしかり。息子一家が孫を連れて訪ねてくれば、キッチンスタジオの皿・小鉢を拝借すればよいのです。
ということで、今日も朝一番で東京へ。「ちゃんと食べて、ちゃんと生きる」を伝えるために、そして、皆さんに料理を作っていただくためにです。

料理研究家・管理栄養士
村上 祥子 むらかみ・さちこ
電子レンジ調理の第一人者として活躍。糖尿病や高血圧などの生活習慣病予防改善のために、栄養バランスのとれた、カロリー・塩分控えめのレシピを考案。また、3歳児の料理教室「ミニシェフクラブ」をはじめ、保育所、幼稚園、小学校の食育出前授業などで、ちゃんと食べてちゃんと生きる「食べ力(ぢから)」をつけることの提案を行なっており、活動は海外にも及ぶ。福岡と東京のスタジオ往復や、全国各地への講演などで、年間100回は航空機を利用する自称「空飛ぶ料理研究家」。著書は266冊。

月刊不動産流通2014年10月号掲載ƒ

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