(Jタウンネットより)
[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月15日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、金沢三茶屋街は、「にし茶屋街」「ひがし茶屋街」と方角の名前がついているのにどうして「主計町茶屋街」だけ町名なのか?という疑問についてとりあげられていました。
主計町茶屋街は、バーやアトリエなどもあり、趣がある中にもどこか現代的なものも感じる茶屋街で旅行客にも人気があります。しかし、なぜ仲間はずれのような名前なのでしょうか?
藩の政策ではなく自然発生の茶屋街
お茶屋はお茶を飲んで楽しむ場所ですので、もともとは一軒ずつあったのですが、江戸時代に数が多くなりすぎ統制できなくなったため、加賀藩は金沢城を挟んで犀川より西を「にし茶屋街」、浅野川より東を「ひがし茶屋街」と統制しました。
ちなみにこの時代、武士はお茶屋に行くことを禁じられていたので、主計町にお茶屋は存在しませんでした。
しかし、明治時代になると、また次第に転々とお茶屋が出来始めます。藩の政策ではなく自然発生的にできた茶屋街なので、そのままの町名を利用することになりました。
ですので、他の茶屋街とも少し異なり、大通り上に揃って軒を連ねておらず、路地などにも転々と店を構えているわけです。
このような裏事情があったわけですね。(ライター:りえ160)