兼六園といえば「灯籠」なのは何故なのか?

この「記事」が気に入ったらみんなにシェアしよう!

みんなにシェアしよう!

(Jタウンネットより)

[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2015年10月5日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、兼六園の見どころについての議論が交わされていました。

兼六園は、石川県を代表する観光名勝。日本武尊像、唐崎の松、根上の松など、ついつい記念撮影したくなるスポットが満載ですよね。

そんなたくさんのスポットの中でも兼六園のシンボルと言えば「徽軫灯籠」です。シルバーウィーク中のとある日も、この徽軫灯籠前で記念撮影した人は1時間で104組という結果でした。

徽軫灯籠(TANAKA Juuyoh (田中十洋)さん撮影、Flickrより)

Kenroku-en(garden) / 金沢 兼六園(かなざわ けんろくえん)

なぜ、徽軫灯籠が兼六園のシンボルとなったのでしょう?

昔は、旭桜がシンボルだった!

実は、昔、兼六園のシンボルは「旭桜」と言われる大きな桜の木でした。前田のお殿様がこの桜を気に入って、武家屋敷から50軒もの家を壊してまで兼六園に運ばせたそうです。よほど見ごたえのある桜だったのでしょうね。

現在の旭桜は2代目(lensonjapanさん撮影、Flickrより)

Kenrokuen garden in Kanazawa

しかし、昭和12年頃までにこの旭桜は枯れてしまいます。そこで白羽の矢が立ったのが徽軫灯籠です。

昔は、両足の長さが同じでしたが片方が壊れてしまい、今の場所に移されました。この絶妙なバランスも怪我の功名といったところでしょうか?

不均等の造形美を好む日本人に受けて、第2のシンボルとして見事に定着したわけです。今は定番の徽軫灯籠にもこのようなストーリーがあったのですね。(ライター:りえ160)

この「記事」が気に入ったら
みんなにシェアしよう!

MATOME