旅先が「帰る場所」になった時、そこには30年ぶりに息吹を吹き返した古民家があった。古民家の庭先にはミントやセージなどのハーブが青青しく生え、瑠璃色の朝顔が風に揺らぎ、縁側に飛び乗った茶トラ猫が悠々と居眠りをはじめる。自然に生える向日葵がもうすぐ満開を迎えそうだ。
現在、この古民家をゲストハウスとして運営する平井明さん・光子さんご夫妻と出会ったのは、2014年5月に瀬戸内海の離島をいくつも巡って旅している時だった。旅の最中に、島旅作家の斎藤 潤さんから「讃岐広島(香川県の離島)へ、朝8時半着の船に乗って来てください」という謎のメールをもらい、訳も分からないままその島に降り立った。そして港に迎えにきてくれたのが平井光子さんだったのだ。
港から島を南北に縦断する道を走ること10分で、人口25人の茂浦という集落に着いた。車1台しか通れない小道には猫がたくさんいて、腕のいい離島出身の大工が手がけたという築数十年から100年ほどの日本家屋が立ち並び、タバコの乾燥小屋跡も残っていて、情緒があり、一瞬で好きになった。
暖簾をくぐり、平井さんのご自宅に案内されると、ご主人の明さんと漁師、竹職人のお知り合い、それから斎藤さんの姿があった。たまたま取材に来ていた斎藤さんは、「とてもいい島だからぜひ紹介したくて」と屈託のない笑顔で迎え入れてくれた。
それからは珈琲を飲みながらのおしゃべり。両親と同年代、60歳代との彼らとの会話は、もっぱら「島にどうしたら人が来てもらえるか」ということで、彼らは「宿も店もないから人が来ない。いつか無人島になってしまう」と繰り返し言った。結局答えのでないまま数時間経ち、帰京したが、何かぼんやりと胸につかえた状態が続いた。
1週間ほど経った頃、意を決して斎藤さんに電話をした。「平井さんたちに、空き家を宿にしないかと提案してみようと思います」。突拍子もない話で、さすがに驚いてはいたけれど、すぐに同意してくれた。
日本の離島全体がそうだろうけれど、讃岐広島の古民家も空き家だらけ。旅中、日本家屋が自然に還るように朽ちていく姿に感動しながらも、非常にもったいないと感じていた。ただ純粋に、日本家屋を一軒でも残したいと思ったし、美しい島が無人島になるなんて考えたくなかった。その思いだけで、旅先が故郷となった日27翌月平井さんたちに連絡をとって、ふたたび島へと向かった。
それからの平井さんたちの動きは俊敏で、皆の前で話をしたその場で使う空き家が決まった。平井家の目の前の家で、築60年、空き家になって30年という家だ。そして私も毎月1週間ほど島に通うようになり、古民家のお祓いを住職にしてもらい(神仏習合の文化がある)、皆で畳をあげて掃除をして、不要な家具は燃やし、必要な電化製品や家具はそれぞれの知人から貰い、水道、電気、ガスを通し、水洗トイレやエアコンを設置して、人が住める環境性は徐々に整っていった。
ほとんどのことは島の人たちが中心となって進んでいき、「自分たちの島」を愛する気持ちと、60歳代後半という年齢で夢に向かう姿に幾度となく感動させられた。時には意見の食い違いも
あって、泣きながら島を出た日もあった。誰にとっても仕事ではないのに、皆が真剣そのものだった。
「故郷っていいな」という思いが、そうした日々の中で生まれた。私は幼少期から転勤の多い家庭に育ち、東京でも数度引っ越しをしているから、故郷と思える場所がなかった。
そうして16年6月に、古民家の旅館業認可が丸亀市からおりた。猫が昼寝をするように、のんびりとゲストに寛いでほしいという思いから、「ひるねこ」という名前を付けてオープンした。
宿となってからも、私は何度となく「ひるねこ」を訪れている。なぜなら、オープンした日に、平井さんたちがこう言ってくれたのだ。「ここを故郷だと思っていつでも帰ってきなさい」と。
旅女・旅作家
小林 希
1982年生まれ。学生時代よりバックパッカーとして海外を旅する。出版社に7年務めた後、2011年末に退社し旅に出る。1年後帰国、旅を綴った『恋する旅女、世界をゆく━29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家デビュー。現在までに50 ヵ国以上をめぐる。著書に、『泣きたくなる旅の日は、世界が美しい』(幻冬舎)など。現在雑誌『Oggi』(小学館)でコラム「今日も、旅日和」を連載中。ブログ『地球に恋する』:nozomikobayashi.com