これまで、320島以上の有人島に訪れ、祭りという、島人にとっての特別な瞬間を撮影する中で、数えきれないほどのすばらしい光景に出会ってきた。そんな私だが、今も新しい発見や驚きが尽きる事はない。祭りには、そこに生きる人々の魂が詰まっており、ふたつとして同じ祭りなど存在しないのだ。
初めて島の祭りに出会ったのは、島旅の訪島数が100島を超えた頃だった。それまで訪れていた島々で見てきた過疎化や高齢化に悩む風景とは違い、祭りの日は、活気に満ち溢れた空気感が島を包み込んでいた。それは、バックパックを背負い、野宿で旅していたアジアの国々と似た雰囲気だった。
空き家かと思われていた島の家々も、都会へ出ていた人々の帰省に合わせて埋まっていく。祭りを理由に帰省する人も多く、それぞれの家から笑い声がこぼれていた。もちろん宿なども数が限られているので、ふらりと訪れた旅人である私は野宿をすることとなったのだが、お陰で島の祭りを深い角度から見ることができた。
古来より脈々と受け継がれてきた神事が夜明け前から執り行なわれ、裏方として祭りを支える島の女性達が、飯や酒の準備を始める。祭りが始まると、一升瓶を呷った男達が、一心不乱に揉み合い、気勢を上げ、皆満たされた表情で、ハレの日を過ごしていく。そんな一日に出会ったことで、私は一気に島の祭りに魅了されてしまった。
有人・無人を合わせると6852島の島があり、有人島は約420島を数える島国日本。ひと言で島の祭りと言っても、地域によって、その個性はさまざまで、それぞれ異なる魅力を持った祭りが存在する。そんな多様性も、島の祭りにのめり込む一つの要因だったのかも知れない。
特に私が好きなのは、瀬戸内の島々の祭りだ。岡山県・真鍋島の「走り神輿」では、島特有の細い路地を御神輿が通り、御座船に乗せられた後、波穏やかな瀬戸内海を進んでいく。古い漁村の面影を残す家並みが、海や山、瀬戸内の島並みなどの自然に調和し、風景にとけ込んでいる。また、村上水軍の伝統を残す広島県・因島の「法楽踊り」は、干潮の浜で舞い踊る島人の姿がとても美しく、古の時代から変わらぬ光景に、島に息衝く魂を感じずにはいられない。
「島の暮らしは、海の恵みや恐ろしさと共にあり、人間の力が及ばないものを神と呼んで敬って生きてきた。祭りはそのことを思い出し、傲慢になった自分自身を反省したり、感謝したりする日なんじゃ」と、ある島人が私に教えてくれた。その想いと共に、祭りの伝統は次の世代へと引き継がれていくのだろう。

古い漁村の面影を残した家並みを輿守達に担がれた御神輿が猛スピードで駆け抜ける岡山県・真鍋島の走り神輿。海の男の誇りを感じる勇壮な祭りだ
しかし昨今、祭りの担い手である若者の流出や人口減少によって、途絶える島の祭りも出てきた。島の祭りを撮影し始めて10年以上になるが、その間に途絶えてしまった祭りもある。一度途絶えたものを再び復活させるには、何倍もの労力がかかり、至難の業だ。
普段、過疎や高齢化に悩んで元気を失っている島も、祭りの日だけは人々が集まり、あちこちで笑顔が溢れ、その賑わいを取り戻す。そんな祭りが消えてしまっては、人々を結びつける貴重な磁石が失われ、コミュニティーの崩壊へと向かってしまう。地域を繋ぐ最後の砦として、カタチは少々変わっても、島のDNAが詰まった祭りを存続していってほしいと切に願ってやまない。
写真家
黒岩 正和 くろいわ・まさかず
1982年和歌山県生まれ。大学卒業後、写真家・溝縁ひろし氏のアシスタントを経て独立。18歳の頃より、東南アジア各国を野宿で放浪。その後、日本の島々を野宿しながら撮影。主な撮影テーマは、アジアの少数民族・メコン河流域の人々・日本の島々の風俗や祭事。2015年現在で、日本国内の有人島を320島以上撮影。なかでも島の祭りに魅了され、祭事にあわせてさまざまな島に出かけ、そのドキュメンタリーを写真に残す。キャノン写真新世紀・上野彦馬賞など受賞歴多数。 公式HP http://kuroiwamasakazu.com