私たちはどうして“ここ”に“住める”と思ったのだろう?
東日本大震災のあと、東京・渋谷から縁もゆかりもない熊本に引っ越して、家として選んだのは、築100年の廃墟のような古民家だった。
「机と椅子、ネットと電源、台所があれば どこでも住めるんじゃないか」。2010年に西日本を1ヵ月かけて無計画に出かけた新婚旅行でそう悟った。それを試す機会がやってきたといえるが、それにしたって現実は、私たちに厳しかった。梁を拭こうとすると、梁に触れただけで雑巾は見事に真っ黒…。さっそく「DIYブルー」になった。
それでもベニヤの天井を取っ払う。土壁、和紙、新聞紙、繊維壁、何層にもなる壁をひたすらはがす。梁の埃を落とす。これだけで3週間が過ぎた。1ヵ月もあれば、住める状態になるだろうと思って借りたのに、残り1週間で片付くわけもなく、ただただ途方にくれた。
始める前は、全部自分たちでできると思っていた。できるかもしれないけれど、時間が永遠にかかるのだ。自分たちが1ヵ月かかることを、1日でできる人がいれば、自分たちが1日でできることを1ヵ月かかる人がいる。分業制が生まれた意味を身をもって知った。これまでに感じていた、社会に対する「どうして?」という思いが腑に落ちることが多かった。社会を見る視点の解像度がどんどん高まったことは、意外な収穫だったといえる。
こうやってひどい目にあったことで、3種類の人がいることがわかってきた。「よくやるわ」と呆れる人、「しょうがないな」と手を差し伸べてくれる人、「おもしろそうだ」と全力で近寄って来てくれる人。人間は、不得意があるから、孤独にならない。不得意さえも、愛おしくなってくる。
実は私たちは、古民家好きではない。高い家賃を払いたくないけど、自分たちが納得いく家をつくりたかった。その条件に合うのが古民家だったのだ。
自分たちで塗った壁は、一部分だけ浮いてきて、ツートンの壁になった。プロはこういう事態にならないように、きっと丁寧に下準備するのだと思う。でも、私はこれを許せる。そして、そのリスクを負えば、たくさんのお金がなくても総漆喰仕上げの家が手に入る。
また、「土間はコンクリートを入れずに昔ながらの三和土がいい」と譲らず、何ヵ月も言い続けたら、三和土をつくったことがあるマニアックな左官屋さんがわが家にたどり着いた。DIYでやるなら俺はタダで手伝うと、とんでもない男気を発揮してくれた。そして、土間を一緒につくってくれた。

築100年の廃墟のような熊本の町家。内見時に撮影したもの

リノベーション後の寝室の様子
「こだわり」と「DIY」と「運命」が出会ったとき、とんでもないマリアージュが起こる。DIYするからこそ、プロの凄みもわかりリスペクトが生まれる。DIYでつくった部分のクオリティの程度を見て、ここはなにやら実験しても良い場所だな、というオーラが立ちこめる。これはグッドグルーヴの始まりの合図。
これまでは、家とは、借りたり、買ったり、そこで終わりだと思っていた。だけども、本当はそこから「どう育てるか?」という、いろいろな学びがあるものなのだと、体当たりをして知った。
その後、私たちのこの実験人生を知った音楽家の坂本龍一さんが「君たちの暮らしはアートだ」と札幌国際芸術祭2014のアーティストとして誘ってくださった。その内容は「札幌に引っ越して暮らすこと」だったため、こんなに手間暇かけた家は、いま手元を離れた。周囲には驚かれるけど、この経験の価値は家そのものではなく、私たちに溜まった知恵や経験、そして出会った仲間たちにある。だからこれからも私たちはきっと、人生を冒険していくだろう。
暮らしかた冒険家/クリエイティブディレクター
伊藤 菜衣子 いとう・さいこ
広告制作業を生業とする傍ら、暮らしにまつわるイケてない常識をいちいち塗り替える冒険中。代表作に、婚約指輪の代わりに婚約後の日々を撮影する「婚約カメラ」、高尾山でキャンプをしながらの結婚式「結婚キャンプ」「弊町家(熊本)」など。「君たちの暮らしはアートだ」と坂本龍一ゲストディレクターに指名を受け、札幌国際芸術祭2014にて「札幌に引っ越して暮らす」プロジェクトを発表。http://meoto.co