毎日見上げる東京スカイツリー。その東京スカイツリーからすぐの場所に、スタジオを構えて約1年半。築50年の元鉄工所をリノベーションしたこの活動拠点は、私そのものです。建築家に幼少期からの人生を語り、これまでの私とこれからの私をすべて包み込む、“生きる”スタジオができあがりました。
3層で構成されるこのスタジオの特徴は、固定されたものが限りなく少なく、フレキシブルであるということ。多種多様なプロジェクトに臨機応変に対応できる自由度を持った、包容力のあるスタジオです。1階は、作品の制作スペースとしての工房兼ショップ。時には、展覧会やワークショップなどのイベントを行なう会場としても使用しています。そして2階は、畳敷きのフロア。壁面は鏡で構成され、通常は着物をご覧いただくためのスペースですが、トークイベントなども開催可能です。最後の3階は私のデスクが置かれた小屋と植物のフロア。今では植物も大きくなり、ジャングルのようです。また、ベランダは野菜や果樹を育てるスペースとして活用。まだまだ、勉強中ですが、日々学びながら、自分で育てた野菜や果物を食べることの楽しさや喜びを実感しています。
これまでまったく植物に興味がなかった私が、これほどまでにたくさんのグリーンに囲まれる状況になったのには理由があります。
きっかけは、2011年の東日本大震災でした。生活が一変し、食物の調達が当たり前のことではなくなったことで、生きて行くために必要な「食」の重要性を改めて感じ始めたのです。これまでは日々の活動の中で様々なもの作りにかかわり、常にその背景を意識し大切にしてきたにもかかわらず、食について意識するきっかけがなかったように思います。
まずは自分自身で食べ物を生み出す体験をするために、スタジオ竣工と同時に、野菜や果樹の栽培を始めました。ほどなく、野菜や果物以外の植物も育てるようになりました。そしてある日、自分の変化に気が付きました。それは、「ゆがみ」を許容できるようになったということです。
これまでの私は、手仕事から生まれる伝統工芸の世界であっても、「あじわい」を受け入れることができない人間でした。活動を始めた当初、生み出されたものに見られる手仕事の痕跡が、素材や技法の性質上にあらわれる「あじわい」なのか、それとも職人の技術力の不足による「ゆがみ」なのか、判断が難しかったからです。「あじ」という価値に不信感を抱き、もの作りの過程のすべてを掌握し、どこまでも完璧を目指そうと意固地になっていました。しかし、当然のことながら植物のすべてをコントロールすることはできません。特に、素人の私にとっては、予期せぬことばかり。そんな植物と向き合うことで、少しずつ「ゆがみ」に愛おしさを感じるようになったのです。
このスタジオにも、リノベーションでは取り払えなかった様々な「ゆがみ」があります。振り返れば、細部ばかりが気になってしまい、時に工事を中断させてしまうこともありました。そのような状況でも、動じることなく冷静だったのは、設計者であるN氏です。「小さなことばかり見ていては先に進まない。細やかな視点と同時に、広くおおらかな視点で物事を捉えなければいけない」、そうおっしゃいました。これほどまでに大きなもの作りの経験がなかった私にとって、建築家の考え方、そして、リノベーションに対する向き合い方は、とても新鮮に感じられました。
この経験により、何においてもミクロの視点とマクロの視点が必要だと気付きました。このスタジオと植物が、私の思考をどこまでも自由に解き放ってくれたのです。私が育てる植物はペットのようなもの。でも、その視点をぐっと大きくしてみると、私たち人間は植物に生かされていることがわかります。呼吸をし、野菜や果物を食べ、木の家に住み、植物の繊維から生まれた服を着る。物事を対極の視点で捉え、相対的に考えることは新たな発見や気付きにつながります。まるでこのスタジオのように、何にも縛られず、常に自由にフレキシブルな心持ちで生きていきたい、そう強く感じるようになりました。これからも、多くの人が自由に考え、新たな気付きを得るきっかけを生み出す活動を続けていければと思います。
アーティスト
高橋 理子 たかはし・ひろこ
円と直線のみで構成された図柄により、独自の活動を展開するアーティスト。自身をマネージメントする組織である高橋理子㈱の代表取締役。 東京藝術大学で日本の伝統工芸全般、特に染織の歴史や伝統技術について学び、博士号を取得。現在は、着物を表現媒体とした創作活動のほか、日本各地の伝統技術を持った工場や職人ともの作りを行ないながら、国内外問わず作品を発表している。また、様々な企業や産地とのコラボレーションも多く、活動は多岐にわたる。http://www.takahashihiroko.com