家のコト

石田ゆうすけさん「シリアの民家」

この「記事」が気に入ったらみんなにシェアしよう!

みんなにシェアしよう!

自転車で世界を周ったときは、何度となく人の家に泊めてもらった。たいていは食堂なんかで話しかけられ、しばらく会話して仲良くなった後に、家に来いよ、と誘われるのだ。

例外はシリアだった。

シリアといえば、今じゃ戦争のイメージばかりだが、15年前は平和で治安もよく、おまけにすこぶる人がよかった。村に入るたびにワッと人が集まり、僕とろくに話もしていないのに、「家に泊まれ泊まれ」と誘ってくるのだ。「え? え?」と戸惑っているうちに、僕は家に連れられ、村人たちも次々に家に入ってくる。そうしていつしか座談会が始まっている。みんなやさしい顔だ。僕はアラビア語の単語とジェスチャーで彼らと交流する。みんな冗談が好きで、手をたたいて笑う。自分の幼い娘を指差し、「嫁にどうだ?」とボケをかますオヤジがいた。彼はそれを真顔で言ったあと、一拍置いて、茶目っ気たっぷりに破顔する、というのを繰り返すのである。そのタイミングの取り方や表情が見事で、僕ははらわたがよじれるほど笑ったし、オヤジはオヤジで、僕が笑うのを見ては満足そうな顔をするのだった。

なぜ彼らが会ったばかりの僕を家に招くかというと、イスラム教と無関係ではない。客人をもてなすように、との教えが彼らの教義にあるのだ。

シリアの田舎の家はコンクリート打ちっぱなしの四角いものがほとんどで、意匠など皆無と言ってよかった。砂漠にそれらが並ぶ様は、どこか蜂の巣のようで、寒々しいものがあった。

ところが家の中はじゅうたんが敷かれ、彼らに倣って靴を脱いで上がると、足の裏に柔らかい感触が伝わり、なんとも温かい気持ちになる。日本と同じ方式だからホッとするのだろう。ただ、その〝郷愁〟を差し引いても、素足で同じ空間を共有するほうが、靴のまま部屋に上がる欧米式より、ずっと人々と親密になれるような気がした。

photo_main

家に泊めてくれたシリアの村人たち。荷物満載の自転車と共に(2000年9月)

ある日、砂漠に小さな一軒家が現れた。これまで同様、コンクリートの四角い家だ。隣にテントを張らせてもらえないかお願いしようとドアをノックする。治安の心配はないが、近くに人がいるほうがやはり安心できる。

ところが中から顔を出したおじさんは家に泊まれという。僕は丁重に断った。毎日のように人に泊めてもらっているうち、甘えすぎてやしないか、と自重する気分になっていたのだ。

しかしおじさんは「泊まれ」と譲らず、結局押しきられる形になった。

中には少年が2人いた。羊の放牧の仮住まいらしい(砂漠にも草はある)。 3人とも寡黙で、僕の片言のアラビア語ではすぐに会話は途切れた。しかし沈黙が不思議と苦ではなかった。彼らは僕がこの部屋にいることになんの違和感も持っていないようだった。僕は旧友の家にいるように、すっかり和らいだ心地になっていた。

夕暮れ時、晩飯を作ろうと外に出ると、それに気付いた少年も外に飛び出し、離れのキッチンで調理を始めた。食事も招待するつもりでいるらしい。そこまで甘えるわけにはいかない、と僕も急いで作り始めた。まるで料理競争だ。といっても彼らの料理は卵を焼くだけだ。それにオリーブ、ヨーグルト、パンを添えてできあがり。それらが乗ったお盆を、少年は得意そうに僕に見せ、ほら、もうこれで君が料理をする必要はないんだ、とうれしそうに笑うのである。残照の中、ピンクに染まった砂漠に浮かぶ笑顔に、僕は思わず見とれ、その美しさに息を呑んだ。「どうして、そこまで…」。

その夜は彼らと並んで寝た。コンクリートの壁の向こうには、真空のように張りつめた砂漠の静寂が広がっている。その冷たい闇を思いながら、彼らの寝息を聞いているうちに、ふと、庇護されている、と感じた。胸の奥にほのかな温もりを覚え、僕はそれを抱きしめるように、深い眠りに落ちていった。

 

旅行作家
石田 ゆうすけ いしだ・ゆうすけ
1969年、和歌山県白浜町生まれ。7年半かけて自転車で世界一周し、87ヵ国を巡る。著書『行かずに死ねるか!』(幻冬舎)から始まる「世界9万5000㎞自転車ひとり旅」シリーズ3部作は30万部超のヒット作に。現在は旅関連の執筆以外に、グルメ雑誌へも記事を寄せる。世界各地のスライドを使い、「夢」をテーマに全国で講演活動も行なう。著書に『いちばん危険なトイレといちばんの星空』(幻冬舎)、『大事なことは自転車が教えてくれた』(小学館)ほか。
公式ブログ:『石田ゆうすけのエッセイ蔵』http://yusukeishida.jugem.jp

月刊不動産流通2016年3月号掲載ƒ

この「記事」が気に入ったら
みんなにシェアしよう!

MATOME