家のコト

平岩理緒さん「幸せなスイーツ空間」

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私は「スイーツジャーナリスト」として、国内外を含め、1ヵ月に200種類以上のスイーツを食べ歩き、その魅力を伝える仕事をしています。最近、取材に伺ったパティスリーで、「スイーツを楽しむ理想的な空間」に関して感じることがありましたので、それについてご紹介します。

新しい菓子店がオープンする際には、マスコミ向けのお披露目のレセプションや、開業前に伺う機会も多くあります。8月下旬、文京区内で9月初めにオープンを控えたパティスリーへ取材に伺いました。「アヴランシュ・ゲネー」という店名は、オーナーパティシエがかつて修業したフランス・ノルマンディー地方の町「アヴランシュ」と、その地でお世話になったという店のオーナーシェフ、ゲネー氏の名前から取ったそうです。

赤が印象的な外装が、ノルマンディーの名産であるりんごをイメージさせます。扉を開けると、ダークブラウンの木製家具が基調の、落ち着いた雰囲気。それは、彼が現地で学んできた、骨太なフランス菓子の印象と違和感なくマッチするもの。奥には数段の階段があり、その左手にカウンター席が4つ。厨房での仕事の様子が見えるよう、逆に厨房からも売り場や来店したお客さまの様子が見えるよう、窓が設置されていました。売場が約8~9坪、厨房は約12坪という、細やかに目の行き届きそうな程良い広さ。段差があるのは元々の造りの名残だそうですが、それもまた味わいがある、と感じました。

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「アヴランシュ・ゲネー」の店内

「入口が少し狭いでしょう。ショーケースのサイズがちょっと大きいんです」。そう言われて見ると、窓越しに外からも見えるオープンスタイルのショーケースが、確かに少しだけ入口ドアの前にはみ出ていました。ダークブラウンの大理石が重厚感を醸し出すそのショーケースには、私も見覚えがありました。それは、彼の師匠のパティスリーで、オープン当時に使われていたもの。少し前に満10年を迎えたその店は、全面的なリニューアル工事を行い、内外装も新しくしていました。その際にショーケースやレジ台を譲り受けたのだそうです。師匠も店を見に来てくれたそうで、「サイズが合わないなら処分するようにと言われたんですけど…」と言いながら、そんな気持ちは毛頭ない、という口調をにじませていました。大勢の兄弟弟子達の中から、運よくタイミングが合って師から譲り受けることのできた機材が、どんなに大切に思われることか。そしてまた、壁に造り付けの飾り棚には、かのゲネー氏夫妻の若かりし頃と、現在との写真も置かれていました。

そのように、パティシエ達がオープンする店をじっと見つめていると、心ときめくような美しいお菓子達が主役であることはもちろんですが、それ以外にも、様々な思い入れが伝わってくるのです。たとえば、自ら設計図を引いて大工仕事の職人と共に作り上げた建物。作り立てのデザートを食べてもらいたいと、限られた空間をやりくりしたイートイン用のカウンター席。小さなお子さま連れのお客さまもゆっくり買い物できるようにと設置した小さなキッズスペース。また、フランスでの修業時代、夫妻で各地を訪れては少しずつ買い集めていったアンティークの小物。師や先輩後輩達が開店祝いに贈ってくれた装飾品。自らコツコツと手作りしたモザイクタイルの壁画。そんな温かな空間や物を発見するのは、菓子店を取材する醍醐味の一つです。

スイーツは、誕生日やクリスマスをはじめ、お祝い事や感謝の印に選ばれ、人の心を幸せにします。そんな気持ちは、まず、店で働く人々自身が幸せを感じる中から生まれてくるもの。きっと彼はこの店で、二人の師匠やそこで出会った多くの人に見守られていることを感じながら、日々、働くことができるでしょう。そしてそんな彼が生み出すスイーツはまた、多くの人を幸せにするでしょう。

私も、菓子店の空間が物語る言葉なき思い、そこに満ちた幸せの源泉を探しつつ、それを伝えることができれば、とても幸せなのです。

 

スイーツジャーナリスト
平岩理緒 ひらいわ・りお
1975年東京生まれ。マーケティング会社を経て独立。国内外の銘菓から最新トレンドまで精通。月200種類以上の和洋菓子を食べ歩き、雑誌やTV、WEB等で発信。「All About」スイーツガイド、お取り寄せの総合情報サイト「おとりよせネット」達人ほか、スイーツのイベント企画や司会、企業や自治体のスイーツ開発・審査評価など幅広く活動。情報サイト「幸せのケーキ共和国」主宰。著書に『東京最高のパティスリー』(共著・ぴあ)、『まんぷく東京レアもの絶品スイーツ』(KADOKAWA)、『3つ星スイーツ』(日本経済新聞社)など。

月刊不動産流通2015年11月号掲載ƒ

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