「宮城」

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団地景観・復興フォト&スケッチ展入賞作品を発表/UR都市機構

団地景観・復興フォト&スケッチ展入賞作品を発表/UR都市機構

 (独)都市再生機構(UR都市機構)は1日、「UR賃貸住宅 団地景観フォト&スケッチ展2016」および「東日本大震災 復興フォト&スケッチ展2016」の入賞作品を発表した。「UR賃貸住宅 団地景観フォト&スケッチ展2016」は「ふれあいの団地〜笑顔、暮らし、彩りの風景〜」をテーマに作品を募集。

ニュース
早くも「東京五輪」に期待! 仙台出身の卓球少年

早くも「東京五輪」に期待! 仙台出身の卓球少年

[OH!バンデス−ミヤギテレビ]2016年9月9日放送のバンデス記者のコーナーでは、4年後の東京五輪を目指す、男子卓球の張本智和選手について放送されました。日本初のメダル獲得で盛り上がっている男子卓球。エース水谷隼選手の後継者として期待されている選手がいます。仙台出身の中学1年生、張本智和くんです。      新星あらわる(画像はイメージ)  卓球選手だった両親の影響を受け、2歳から卓球を始めた張本くん。メキメキと力をつけ、小学校の時には男子史上初の全日本選手権6連覇を成し遂げました。この春に上京張本くんのプレースタイルは、闘志を前面に出す熱さと、喜びの最高潮で出るイナバウワーならぬ「ハリバウワー」。その実力とプレースタイルから、試合会場ではサインを求めて人だかりができるほどの人気ぶりです。卓球男子前監督の宮崎さんも「宝ですよ! 水谷選手の次に現れた救世主」と期待を寄せています。彼は世界で活躍できる選手になるため、今年の春から東京にあるJOCエリートアカデミーで寮生活を送りながら、卓球漬けの日々を送っています。先日開催された全国中学校卓球大会では見事に優勝し、世代別7連覇の偉業を成し遂げました。「東京オリンピックで金メダルを獲りたい」と話す張本くんの夢が現実になるのは近いでしょう。(ライター:長沢あきこ)

「青空応援団」団長が送った、後輩へのエール

「青空応援団」団長が送った、後輩へのエール

[OH!バンデス−ミヤギテレビ]2016年9月7日の放送では、東北各地の応援団OBである社会人で結成され、仙台を中心に頑張る人を応援しようと活動する「青空応援団」について放送されました。      宮城県立仙台第一高校(Kinoriさん撮影、Wikimedia Commonsより)  団長の母校である仙台一高の文化祭では毎年、仙台一高を卒業した著名な先輩を招いて記念講演を行っています。過去には俳優の菅原文太さんや映画監督の岩井俊二さんなども講演されましたが、今年は「青空応援団」の団長、平了さんが招かれました。世の中を明るくするために...平さんは在学当時、応援団をつとめたことをきっかけに、卒業後も社会人の仲間と私設応援団「青空応援団」を作り活動を続けています。応援は世の中を明るくするという信念の元、高校生に負けないくらい練習を積み、全国各地で多くの人々にエールを送ってきました。そんな平さんが、講演で後輩たちにメッセージを送りました。「これからの人生色々な人に色々な事を言われることがあると思う。それは身近な人かもしれないし、自分自身の心かもしれない。それを雨に例えるのであれば、僕らが君らの傘になります。僕たちは周りのノイズが聞こえなくなるように大声で叫ぶんです。"ガンバレ"と。これからの人生でどんなに辛いことがあったとしても、自分が思い描く道を突き進んで欲しい」今も学ラン姿で応援団を努める先輩、平さんは、後輩の輝く未来を願っています。(ライター:長沢あきこ)

観覧車も残る廃遊園地「化女沼レジャーランド」...廃墟マニアの応援で、現在購入者を募集してます

観覧車も残る廃遊園地「化女沼レジャーランド」…廃墟マニアの応援で、現在購入者を募集してます

夜の観覧車(以下、画像は「TEAM廃墟」より)  宮城県大崎市の遊園地「化女沼(けじょぬま)レジャーランド」。閉園されてから15年以上たったが、いまなお当時の設備を残したまま、静かに眠っている。宮城県古川市にある遊園地廃墟「化女沼レジャーランド」。所有者様に頼まれて、買っていただける方を探しています。東北自道・長者原スマートインターから3分、約45,000坪、閉園後に涌き出た源泉付き。自然公園に囲まれ、当地のみ建築制限なし pic.twitter.com/i4LCeaDY5n- よごれん (@yogoren) 2016年9月15日そんな「廃墟」が、いま買い手を探している。しかも、オーナーと買い手との仲介役を「廃墟マニア」が担っているという。そこにはどんな経緯があったのか。気になったJタウンネットは、話を聞いてみることにした。社長の「強い意志」に感銘を受けた売却の仲介役となっているのは、走行困難な「酷道」や廃墟の紹介サイト「TEAM酷道・廃墟」を運営する、よごれんさん。サイトには現地レポートも掲載されている。それによると、化女沼レジャーランドは1979年、「化女沼保養ランド」として開園。土産物店やゴルフ練習場に加え、観覧車やコーヒーカップ、メリーゴーランド、そしてホテルも併設されていた。2000年に閉園されたが、その後も元従業員が定期的に清掃している。      往時を残すゴルフ場  よごれんさんと、化女沼レジャーランドの接点が生まれたのは2011年。テレビでよごれんさんの密着取材をするにあたり、同地への初訪問を計画。運営会社の後藤社長にコンタクトを取ったことがきっかけだった。「実際に現地でお会いした時、独力のみで築き上げた遊園地であることや、その夢を終わらせないために強い意志で遊具を撤去せずに残していること等をお聞きし、感銘を受けました。それ以来、懇意にさせていただき、私が化女沼レジャーランドの見学会を主催するなど、何度か訪問させていただいてます」      「何か少しでも出来ることをしよう」とはいえ社長は、すでに80代と高齢だ。「早くレジャーランドの土地の始末をつけたいと考えておられるよう」で、社長は2015年春ごろ、よごれんさんを訪ねて、はるばる名古屋へやってきた。「直々に売り先を探して欲しいと依頼されました。といっても私はただのサラリーマンで廃墟を趣味にしているだけですので、45,000坪もの土地を売りさばくルートなど思いつきません。かといって、頼まれたのに何もしないままでは私としても気が治まりません。何か少しでも出来ることをしようと、TEAM廃墟のトップページで呼びかけたり、度々ツイートしたりしてきました」      錆が年月を感じさせる  よごれんさんによると、遊具は中古でも高く売れ、最悪の場合には鉄くずとして買い取られるため、廃墟として残るのは「非常に稀」だという。往時の風景がそのまま残されていることに、化女沼レジャーランドの魅力があるようだ。「全ての遊具が当時のまま配置され、それは草に埋もれて錆びてゆく様は圧巻です。そうした廃墟の魅力もさることながら、所有者である後藤社長の熱い思いも加わって、とても魅かれる場所になっていると思います」      当時そのままの紙袋  社長の思いや、圧巻の廃墟写真は、「TEAM廃墟」の現地リポートにも記されているので、あわせて読むことをおすすめする。なお売却の予定時期は決まっておらず、よごれんさんは「よいお話があればすぐにでも、という流れになると思います」と話している。化女沼レジャーランドの土地にご興味がありましたら、ご連絡下さい。次が決まるまでは、所有者の意向で遊具類は残すつもりです。廃墟マニアが廃墟をなくすようなことは矛盾していますが、所有者さんあっての廃墟マニアです。よろしくお願いします。 pic.twitter.com/RXQMP6rMBC- よごれん (@yogoren) 2016年9月15日化女沼レジャーランド、廃墟マニアが廃墟の所有者に頼まれて買い手を探すという超異例な展開ですが、頼まれたからには手は尽くしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。 pic.twitter.com/I9JAFtRCXO- よごれん (@yogoren) 2016年9月15日

さっぱり飲み口が◎! 「レゲエパンチ」は仙台出身だった

さっぱり飲み口が◎! 「レゲエパンチ」は仙台出身だった

[OH!バンデス - ミヤギテレビ] 2016年7月22日放送の「なんでやねん!?宮城解体新書」のコーナーで、仙台発祥のお酒とその由来について紹介していました。国分町で生まれた人気のカクテル      レゲエパンチ(撮影=Lokist-pedia Wikimedia Commonsより)  仙台発祥のグルメといえば、ずんだ・笹かま・牛タン・冷やし中華などですが、実はその代表格の陰に隠れた、仙台発祥のお酒があります。その名も「レゲエパンチ」はピーチリキュールをウーロン茶で割ったカクテルで、全国的には"ピーチウーロン"と呼ばれています。仙台の夜の街・国分町で生まれ全国に広まった、女性に人気のカクテルなのですが、なぜ「レゲエパンチ」という名前なのでしょうか。「レゲエパンチ」はある女性のオーダーで生まれた!仙台では"レゲパン"と略されるほど親しまれているレゲエパンチですが、意外にも仙台発祥であることを知らずに飲んでいる人が多いのです。そこで、一番町の「bar ray」でレゲエパンチの由来を伺うことに。今から24年前、国分町に「サウサリートカフェ」というショットバーがありました。バーには、アフロヘアのレゲエ好きの女性常連客が来ていました。しかし彼女はお酒が苦手。バーでもカッコよくお酒を飲みたくて、バーテンダーの黒澤さんに「私でも飲めるカクテルを」とオーダーし、レゲエパンチが誕生したのです。さっぱりして飲みやすいレゲエパンチの噂は口コミで知られることとなり、ダンスブームだった仙台では「踊るならビールよりもレゲパンだ!」と一気にブレイクしました。その後、酒造メーカーにより商品化されたレゲエパンチは全国へと広まっていったのですが、ピーチのウーロン割りカクテルを北海道では「クーニャン」、大阪の一部では「上海ピーチ」と呼ばれているのだそう。訪れた地域オリジナルの呼称を使って、粋にオーダーしてみたいですね。(ライター:M.)

宮城でしか使わない言葉「ジャス(ジャージ)」、その誕生の謎

宮城でしか使わない言葉「ジャス(ジャージ)」、その誕生の謎

[OH!バンデス - ミヤギテレビ] 2016年7月15放送の「なんでやねん!?宮城解体新書」のコーナーで、宮城弁の代表格ともいえる、ある言葉について紹介していました。体育着をなぜ「ジャス」と言うのか?(撮影=Lonnie flickrより)宮城県名取市にある洋品店「ファッションわたなべ」では、電光看板に「〇〇中ジャス」という文字が、約30年前から当たり前のように流れ続けています。この「ジャス」という言葉、標準語ではなさそうです。実はこれ、宮城弁で「体育着(=ジャージ)」のことなんです。県民の30代から50代を中心に、子どもの頃「ジャス」という言葉が使われ、「学校のお便りに"ジャス持参"と書かれていた(40代)」「あずき色のジャスは"アズジャス"と呼んでいた(50代)」のだとか。しかし現在では「"体育着"としか言わない(現役小学生)」「聞いたことはあるが"ジャズ"の間違いかと思った(20代)」と、若い世代には「ジャス」が何のことかわからない人も多く、時代とともに認知度が薄まっていったようです。「ジャス」の由来に諸説ありではなぜ、体育のジャージに「ス」を付けて呼ばれていたのでしょうか。学校方言に詳しい仙台高専の武田教授によると、その由来には諸説あるそうで「(上下セットになっている)"ジャージー・スーツ"の短縮形」「ジャージーが訛った」「ジャージーの複数形」の、3つの理由が考えられるそうです。また、宮城限定で「ジャス」である理由は不明とのことでした。社会人になってから他県に出て、知らずに「ジャス」と言ってしまい、ツッコまれて恥ずかしい思いをした人も多いのだとか。時代とともに変遷してきた「ジャス」は、今となっては県民に懐かしさを蘇らせる言葉なのかもしれませんね。(ライター:M.)

市民も知らない?どうして「仙台七夕まつり」が8月開催なのか

市民も知らない?どうして「仙台七夕まつり」が8月開催なのか

[OH!バンデス - ミヤギテレビ] 2016年7月8日放送の「なんでやねん!?宮城解体新書」のコーナーで、仙台の七夕の由来について紹介していました。絢爛豪華な飾りが街中を彩ることで有名な仙台七夕まつりは、他県からも多くの人が訪れる夏の風物詩です。暦の上での七夕は7月7日ですが、1か月遅れて毎年8月6日から行われています。      2010年の仙台七夕まつり(Nikmさん撮影、Wikimedia Commonsより)  しかし、なぜその日から開催されるのか、実は仙台市民のほとんどが明確な理由を知りません。「旧暦に合わせているのでは」という意見もありますが、例えば2016年の場合、7月7日の旧暦は8月9日になります。また、その年によって20日から50日もズレてしまいます。従って、仙台七夕は旧暦で行われているわけではないのです。では、どうして――。新暦と旧暦のあいだの「中遅れ」ではなぜ、仙台七夕は8月6日からと決まっているのでしょうか。仙台の歴史に詳しい、フリーペーパー「風の時」編集部・佐藤正実さんに真相を聞くと「元々、仙台七夕は江戸時代から旧暦で行われていた」のだといいます。やがて明治新政府が樹立し全国的に"新暦"が使われるようになりましたが、仙台の七夕は「お盆と、稲刈りでの豊作」の両方を祈るという意味を持っていたので、新暦ではタイミングが合いません。そこで仙台七夕は、新暦と旧暦の間の「中歴(月遅れ)」における8月7日を採用しました。そして昭和3年(1928年)からは毎年、8月6・7・8日の3日間で開催されるようになったのです。伊達政宗公が広めた仙台七夕は、飾りを作るための縫う・描くという作業が子供達への家庭内での教育につながるとして伝えられてきたのだそう。歴史とともに、家庭から商店街、そしてイベントとして発展を遂げてきたのです。彩り豊かな七夕飾りは、日本の良き文化の象徴として目を楽しませてくれそうですね。(ライター:M.)