街のコト

高橋真理子さん「すべての人に星空を」

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詩人・長田 弘さんの代表作のひとつである「最初の質問」という詩をご存じでしょうか?「今日、あなたは空を見上げましたか。空は遠かったですか、近かったですか」というくだりから始まります。人々にとって幸せとは何だろう、という問いかけが、この詩の全体を包んでいます。空を仰ぐことと、幸せに生きることは、とても近いところにあります。
朝や夕の二度と同じ色がないような刻々とした変化、高い蒼空、いろんな形の雲がある空……、陽が沈み宇宙に向かって窓が開かれる夜空は、格別に人々に思索の時間を与えてくれます。
星空を見上げてきた人々の歴史は、おそらく人類がこの地球に生まれたときから始まっています。星の存在は、人々に時間や空間の概念を生み出し、想像力を与えてきました。私たちはどこからきて、どこへ向かうのかという人間の根源的な問いも、星空がなかったらだいぶ違ったものになったでしょう。そもそも星がなかったら、私たち生命は生まれてくることさえなかったのです。

プラネタリウムの仕事を始めたばかりの1998年秋、私自身にとって大きな体験がありました。一晩中外に寝転びながら、ひたすら空を見続けたのです。しし座流星群の夜でした。その年の流星群は、予想に反してあまり多くの流れ星は見られませんでしたが、刻々とその位置を変えてゆく星の滑らかな動きをずっと眺めていたら、自分が地球という星にへばりついて回っているということ、しかもその地球は広 大な宇宙の中のほんの小さな存在だということを、頭ではなく体が理解したような感覚が生まれました。体の奥底から、ふつふつとエネルギーが沸いてくる、「生きている」と思える瞬間でした。
きっと誰にとっても、星の輝きに触れることは、とても大切なことなのだと思うのです。ところが、現代を生きる私たちの頭上には、あまり星がありません。まち明かりがあまりに明るく、わずかな星々の光がかき消されているのです。天の川は今や、絶滅危惧種のように、その姿を見せてくれません。このまま地上の光に埋もれて、本物の満天の星を知らない人が大半になってしまう社会は、想像力を失ってゆく世界なのではないか、と心配です。

私は今、山梨県の甲府に住んでいますが、八ヶ岳の山麓にも「アルリ舎」 と呼ぶ小屋を持っています。残念ながら天窓はありませんが、一歩外に出れば普通に天の川が見える場所。星の下に人が集い、食べたり飲んだり、おしゃべりしているだけで、元気になっていく、そんな場をつくりたいという想いを持ってのことです。さまざまなご縁が広がり、その近くの広大な別荘地の一角に、小さなプラネタリウムもつくり、本物の星空とともに楽しむイベントも開催しています。その周辺は、星のある暮らしを求めて移住される方も多くいらっしゃいます。
その一方で、求めてもなかなか本物の星空を見られない人たちもたくさんいます。そんな人たちに星空を届けたい。そう思って全国の長期入院している子供たちや難病の方たちに、移動プラネタリウムを持って訪問する活動も行なっています。始めて3年ほどですが、普段はほとんど反応を示さない難病の高校生が、大迫力の宇宙の姿にみるみる輝く顔になったり、「めっちゃ元気でた!」という少女がいたり、星の力を見せつけられる数々の体験から、学ばせてもらうことがたくさんあります。病院の天井に、毎晩、星が出てきてくれたら、想像力の翼はどこまでも飛んでいくことができるし、生きること、死にゆくことについて静かに考えることもできるかもしれません。かつて、小学校4年生の男の子がこんな詩を書いてくれました。「星空がキラキラ光ってきれいだな。ぼくは1日幸せだったよ」。

皆さんも窓を開けて星空を眺めてみませんか。すべての人に星空を。切なる願いです。

 

宙先案内人
高橋 真理子
星空工房アルリシャ代表、星つむぎの村共同代表、日本大学芸術学部非常勤講師。山梨県立科学館のプラネタリウムで19年間、斬新な企画や番組制作を行なったのち、2013年に独立、宇宙と音楽を融合させた公演や移動プラネタリウムを「とどける」仕事へ。特に、「病院がプラネタリウム」プロジェクトでは、全国の病院からオファーがある。近著に『人はなぜ星を見上げるのか―星と人をつなぐ仕事』(新日本出 版)。公式サイト http://alricha.net

月刊不動産流通2017年2月号掲載ƒ

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