暮らしのコト

西岡 潔さん「住む場所を選ぶ自由」

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住むところを選ぶ際、人は何を基準にするのでしょう?
私がけっこう大切にしているのは、初めてその物件を訪れた際のドアを開けた時の気持ちよさです。

12年ぐらい前からでしょうか。田舎暮らしに興味が出始め、仕事がら日本各地に行くことが多いこともあり、住むのにいい場所がないか探していました。自然が豊かできれいな場所はたくさんありましたし、「住んでみたい」と思える場所も数ヵ所ありました、でも一歩踏み出せない内に、10年程が経っていました。
そんな折、奈良県の移住ツアーに参加しました。訪れた東吉野村は林業の衰退とともに人口が流出したこともあり、1970年には7000人だった人口も現在は約1600人にまで減少、65歳以上の割合も50%を上回っています。そのような状況の中で移住を促進するために古民家をリノベーションするプロジェクトが進められ、「OFFICE CAMP HIGASHIYOSHINO」というシェアオフィスが完成したところでした。
ここのドアを開けたときの気持ちを今でも思い出します。すでに移住しオフィスキャンプの運営に携わっている人々や地域の人々から「ここでどうにか生きていくぞ」という前向きな意思がひしひしと伝わってきました。今ま
で感じたことのないワクワク感とともに、「住んでみたい」という気持ちが湧き上がってきたのです。もちろん吉野杉の山に囲まれた川のある風景が美しく、春の陽気と相まって、東吉野村がとても魅力的な場所に見えたのも移住を決意した理由のひとつです。

この頃、私は「周囲とつながっている生活がしたい」と強く望んでいました。というのも私は22歳まで大阪市内の実家に住んでいました。子供のころから住んでいた場所ですから、それなりに愛着もあり知り合いも多かったのですが、都心部だったせいかつながりはそこそこ、という感じ。その後に住んだ場所も同様に都心部だったため、つながりというと、よく通ったごはん屋さんぐらいしか思いつきません。
その後、東京に引っ越すことになったのですが、直後に東日本大震災が起きました。普段、さまざまな面で利用している便利で効率の良いものが麻痺状態に陥り、自分ではどうしようもない無力感や不安感が押し寄せ、都会の脆弱性を強く意識するように。この経験から、周囲とのつながりを強く欲するようになりました。東吉野村での生活は、そういう意味でもとても魅力的に思えたのです。

そうして、2015年の9月から東京と奈良の二拠点生活が始まりました。今までの仕事をやりながら、つまり安定をある程度担保しながら、東吉野村の環境の良さも享受できるのが魅力でした。収入は減っても、便利という価値観ではなく「何ができるか」という新たな価値観が得られる。この新たな価値観による発想と提案への挑戦、これも私のやりたかったことでした。結果、奈良での暮らしは新しい仕事につながり、今まで以上に周囲と関わりを持つことができ、仕事も充実していきました。

そしてとうとう先日、東京の家を引き払い一拠点にしたのです。インターネットやモバイル機器の普及で、都会にいなくてもいろいろなことができるようになりました。時代は変化していきます。流動的な変化に対応しながら、 自分も変化していく、そんな柔らかい自分でいたいと考えたからです。

私はこうして、やっと、自分の理想の棲家を手に入れました。実はここにくるまで 回も引っ越しをしています。その経験を振り返ると住む場所を選ぶということは「自分がどうありたいか」「どうなりたいか」を選ぶことなのだとつくづく思います。

写真家
西岡 潔
1976年大阪市出身。98年から2年間海外を遍歴し、帰国後ファッションデザイナーから写真家へ転向。書籍、月刊誌、コマーシャルと幅広い媒体で活動し、時間や空間、移動をテーマに作品制作を続ける。2015年9月から東京と奈良県東吉野村との二拠点生活を始め、17年7月からは東吉野村のみの一拠点生活に移行。第14回(2012年度)三木淳賞奨励賞受賞。手掛けた書籍、写真集に『気持ちのいい聖地 関西版』(青幻舎)、『いい階段の写真集』(パイインターナショナル)、『いいビルの写真集』(同)など。

月刊不動産流通2017年10月号掲載ƒ

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