家のコト

川口葉子さん「築90年。精霊が宿る京都の洋館」

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百年の歳月を経た古道具には精霊が宿り、妖怪に化ける。そんな昔話を聞いたことがありますが、旅先の京都で古い洋館に出会ってからというもの、歳月を重ねた家屋にも精霊が宿るように思えてなりません。

その洋館とは、1926年に建てられた木造2階建てのアパート。老朽化は遠目にもあからさまで、土壁があちこち剥がれ落ちた姿は廃屋のようにも見えます。にもかかわらず、空室がなかなか出ない人気の賃貸物件なのです。というのも、玄関の横に立つ一本の大きなしだれ桜が、春になると濃紅色の妖艶な花で、建物全体を異世界めいた空気に染め上げてしまうからです。
私が初めてその洋館を訪れたのは、数年前の4月のことでした。京都でカフェを営む知人が、2階の角部屋の住人を紹介してくれたのです。

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昨年から、2階の1室を借りた女性が室内を美しく修復し、予約制の中国茶会を開くように

折しも桜が満開。道路にも屋根にも庭にも、風が起きるたびに、花びらがいちめんに降りしきりました。その光景を窓から眺めながら、住人はこんな話を聞かせてくれました。「この建物は意志を持っていて、住む人間を自分で選ぶんです」
いわく、エントランスの観音扉は風もないのに勝手に開いたり閉じたり、歓迎されていない人間が入ろうとすると、鼻先で閉められてしまうことがある。コの字型をした複雑な建物には数ヵ所に階段があるのだが、たまにその階段が消えてしまい、何度かこの洋館を訪れたことのある人が、ある日、どうしても北館2階に通じる階段を見つけることができず、あきらめて帰ったことがあったという。また、時折、すでにこの世には生きていないはずの人々が廊下に姿を現すこともあるとか。
「そういう人たちの一人と、廊下ですれ違ったこともあります」、コーヒーを飲みながら、その住人は淡々と言いました。
「彼らはたまたま時間を間違えて、現在の世界に出てきてしまうんじゃないか思うんです。この建物の廊下には、幾つもの時間の帯が流れていて、たまに混線するのかもしれない」  妖艶な桜に覆われたこの洋館では、そんな不思議な話もすんなりと耳に入ってきました。そうして京都旅行のたびにその洋館を訪れては、住人とコーヒーを飲みながら話をするようになったのです。

ある夕方。洋館から帰ろうとすると、観音扉が目の前でふっと閉まりました。「閉じ込められた!」、とっさにそう思いました。
意志を持つという洋館が私を帰すまいとしているのか?
洋館には何か言いたいことがあるのだろうか?
玄関ホールに立ったまま軽くドキドキしているうちに、掲示板の貼り紙に目が止まりました。そこには、「この賃貸物件に興味がある人は以下へご連絡ください」というメッセージと、管理会社の電話番号が書かれていました。そしてその電話番号の下4ケタが、なんと私の誕生日と同じ!

私は電話番号をメモして、風がそよとも吹かず、観音扉も動いていないことを確認してから東京に戻りました。そんなわけで、酔狂にも私はこの洋館の南館の1室を借りることになったのです。キッチンとトイレは共同、お風呂は銭湯通い。生活するには不便極まりないのですが、ここにしかない空気に惹かれて暮らしている人、アトリエとして使用しているアーティスト、私のようにたまに来て楽しんでいくだけの人と、各部屋ごとに異なる使われ方をしています。

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玄関の横に立つ存在感のある大きなしだれ桜

生活のベースは東京にあるので、この洋館で過ごすのは月に1度、ほんの数日のことです。でも訪れるたびに、窓一面に私を魅了したあのしだれ桜が思い出されます。何年先までその姿を見ることができるのでしょうか。いつも美しさと悲しみを同時に感じつつ、やっぱりまた京都へ向かうのです。

 

ライター、喫茶写真家
川口  葉子  かわぐち・ようこ
カフェに魅了され、雑誌や書籍、新聞等を舞台に、カフェ特集やコーヒー特集の監修・執筆多数。これまでに訪れたカフェは北海道から沖縄まで1,000軒以上。著書に『東京カフェ散歩 観光と日常』(祥伝社)、『京都カフェ散歩 喫茶都市をめぐる』(同)、『街角にパンとコーヒー』(実業之日本社)、『東京の喫茶店 琥珀色のしずく77滴』(同)他多数。  Webサイト『東京カフェマニア』(http://homepage3.nifty.com/cafemania/)主宰。

月刊不動産流通2015年7月号掲載ƒ

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