「ボヴァリー夫人」

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記憶のミルフィユ@ルーアン  一歩先のフランスの旅(その4)

記憶のミルフィユ@ルーアン  一歩先のフランスの旅(その4)

 中世の街並みがそのまま残るノルマンディー地方のルーアンには、激しい闘いの記憶が、厚みのある文化と折り重なるように、そのまま残る。百年戦争で闘いフランスの国民的ヒロインとなったジャンヌ・ダルクが、ルーアンで火刑に処せられたのは、1431年。処刑場となったルーアンの広場には、19歳の若さで逝った彼女の魂を慰める教会が建っている。ノルマンディーの伝統である船の技術を生かし、舟底をひっくり返したようなのびやかな形の木組みの天井は、外側から見ると、教会とは思えない現代的な建築物だ。それだけに、中に足を踏み入れた時の驚きは大きい。ルネッサンス期のステンドグラスが放つ光が、不思議な形の聖堂の隅々に行き渡る。 その広場のすぐそばには、ルーアン出身の劇作家、ピエール・コルネイユの生家がある。モリエールやラシーヌとともに、古典主義三大作家と呼ばれる1人だ。2階にのぼると、コルネイユの貴重な初版本などがおさめられた書棚や、大論争を巻き起こした作品「ル・シッド」を書いた机、劇場でかかった作品の展示などを見ることができる。 ルーアンの文学者といえば、もう一人、「ボヴァリー夫人」で有名なフロベールがいる。その「フロベールと医学博物館」も必見だ。「ボヴァリー夫人」の作品中にも外科手術の場面が登場するが、フロベールの父親は外科医。この博物館も、市立病院の外科部長邸宅だったところだ。文学者ゆかりのもとと思って足を運ぶと、医学関連の展示も多数あり、文学そのものというより、彼の著作の背景になった環境そのものがじわじわと迫ってくる場所だ。フロベールはこの町の誇りでもあり、旧市街のカフェの前にも、何気なく彼の銅像が立っている。 文学より美術を、という人は、ルーアン美術館へ。ルーベンス、フラゴナール、モディリアーニからドラクロワまで、数多くの作品をゆっくり鑑賞できる。モネが好きでルーアンに来るという人も少なくないが、この美術館は、モネやシスレーなど印象派のコレクションは国内2位の所蔵を誇っている。 その近くには、ノルマンディーの最高裁判所がある。教会と見紛うようなゴシック建築だが、外壁には激しい弾痕が残っている。第二次大戦時、多くのレジスタンスが銃殺されたり、ナチに連行されたりするまで、この建物の地下に閉じ込められており、結果的に連合軍の爆撃を受けているのだ。その弾痕は相当な数だが、修復されずにそのまま。「わざわざ残した」という意思が明確に見えるすさまじさだ。中世の落ち着いた風景の中に、この町が過ごしてきた苦楽の時間が、目に見える形でミルフィユのように重なっている。それがルーアンの魅力かもしれない。 次回は最終回。旅行者では入れないコロンバージュの住居の中、人々の日常生活と、とっておきの「お土産」セレクションを。

町ごと美術館のルーアン  一歩先のフランスの旅(その1)

町ごと美術館のルーアン  一歩先のフランスの旅(その1)

 観光ガイドがあふれるパリ。美術館からレストラン、流行りの店にいたるまで、パリジャンよりパリに詳しくなれるような情報が、日本では大量に、常にアップデートされている。リゾート地の南仏や、お城めぐりのロワール、ワイン好きが足を伸ばすボルドーやブルゴーニュなど、パリは行き尽くした、という人のためのフランス情報にも事欠かない。だが、パリから列車でほんの1時間であるにもかかわらず、あまり多くの日本人が立ち寄らない、フランスらしいとっておきの場所がある。 りんごやカマンベールで有名なフランス北西部、ノルマンディーのルーアンという町だ。クロード・モネが連作を描いた大聖堂と、ジャンヌ・ダルク終焉の地として知られ、第二次世界大戦時の爆撃で大きな被害を受けながら、長い時間をかけて中世の伝統的な姿に修復してきた類まれな町。フランス最古のオーベルジュもここにある。静かで落ち着いた夏の旅を計画したい、という旅行好きのために、「町ごと美術館」と呼ばれるルーアンをじっくりご紹介しよう。第1回目は、夏に見ておきたい大聖堂とメインストリート。 フランス第6の都市ルーアンには、パリのサン・ラザール駅から特急列車に乗って約1時間で着く。ヴィクトル・ユーゴーが「百の鐘が鳴る町」と書くほど教会が多く、中でもゴシック建築で有名なカテドラルは必見だ。12世紀から400年かけて16世紀に完成した大聖堂は、フランス・ゴシック建築の最高峰といわれ、150メートルの尖塔はフランス一の高さを誇る。レースのような繊細な浮彫装飾を見上げ、カメラを構える人は多い。ルーアン出身のフロベールの作品「ボヴァリー夫人」に描かれた大聖堂の描写を、今もそのまま見ることができるからだ。 毎年6月から9月まで、夜になると、この大聖堂の壁面を丸ごとプロジェクターにした壮大な映像ショー「光のカテドラル」を見に、多くの人が集まる。ここ3年ほど、夏になるとこのショーを観ているが、日本人観光客に出会ったのは数えるほど。パリを起点にもう一歩先へ向かうとなると、同じ方角を向いていても、一気に海辺のモン・サンミッシェルまで直行、という場合が多く、ルーアンはどうやら「途中駅」として通過してしまう人が多いらしい。町のメインストリートになっている「大時計通り」を歩いても、時折ツアーの一行とすれ違う程度で、ほとんど日本人は見かけない。 通りの中ほどに、文字通り、ルネッサンス様式の時計台がある。道をまたぐアーチの表裏に、二つの大時計。もともとゴシック様式の鐘楼として建築されたもので、時計台からはルーアンの旧市街が見下ろせる。さらに進むと、ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた広場にたどり着く。中央には、ジャンヌ・ダルクの魂をなぐさめるために建てられた教会。周囲には、たくさんのビストロやレストランが並んでいる。その中の一軒が、フランス最古のオーベルジュ。次回は、当地のグルメを紹介しつつ、さらにルーアンの“奥”を歩いてみよう。