「美術館に行ってみたいけど、どこがおススメだと思う?」と、職業柄よく尋ねられる。日本は世界でも有数の美術館大国。東京だけでも100以上もの美術館があり、ジャンルも細かく分かれている。だからこそ、ふらっと入ってみるのが難しい。
美術館というと、上野にある国立西洋美術館や東京都美術館、六本木ヒルズにある森美術館など、大きく立派な施設を思い浮かべる人が多いかもしれない。そんな美術館は予算規模も大きく、海外からの名品も数多くやってくる。それゆえ、入場するために行列に並んだり、絵より人の後ろ姿を見ていたりする時間のほうが多いこともある。初めてのデートならば、それは楽しい時間になりえるけれども…。だから、初めて美術館に行くならば「美術館そのもの」を楽しめる場所に行ってもらいたい、美術館をもっと好きになってほしいと願う。そんなときにオススメしているのが、「元お屋敷」だった美術館だ。
「元お屋敷」の美術館とは、個人の住まいとして使用していた建物を、小さな美術館として生まれ変わらせたところだ。もちろん、きちんとした美術館を作るなら、建物を取り壊し、災害に強く作品の保存に優れた建物にしたほうが、後々のことを考えればいいに決まっている。けれども(もちろんコストの問題もあるが)新しい建物をあえて建てず、元の建物を生かす道を選択するということは、美術館を作ろうと決意した人、そして周囲スタッフの建物への愛が強いからにほかならない。そんな美術館は、展覧会だけでなく、すべてにおいて見どころにあふれた場所であることが多い。ただいるだけで居心地がいいのだ。
たとえば、「品川」駅から徒歩15分の場所にある原美術館。城南五山のひとつ、御殿山の住宅地内にとつぜん現れる美術館は、もともとは明治、大正期に活躍した実業家、原 邦造の邸宅であった。1938年に竣工した建物は、銀座和光などを手掛けた建築家、渡辺 仁の設計で、なめらかにカーブする手すりやガラスブロックがはめこまれた窓など、すっきりしたモダニズム様式の建物だ。かつての応接間や客室は展示スペースとなっており、展示作品によっては窓も全開し、陽光の差す気持ちいい空間になっている。展覧会に合わせてオリジナルケーキが供されるカフェも居心地がいい。
原美術館からそう遠くない目黒にある東京都庭園美術館もまた、「元お屋敷」だった場所。旧皇族、朝香宮夫妻の邸宅として、1933年に竣工した建物の美しい佇まいは今年、国の重要文化財にも指定されたほどだ。3年にわたりフランスに滞在した夫妻の好みが随所に取り入れられている。年に1回の割合で「建物」を見る展覧会も企画されており、ラジエーターグリルや照明、水回りのモザイクタイルなど、ふだん凝視していると周囲に訝しがられる場所も、まじまじと愛でることができ、なかなか楽しい体験だ。

目黒にある東京都庭園美術館。ほとんど装飾のないシンプルな外観だが、内装には当時流行のアールデコ様式の粋を尽くしている
そのほかにも、「元お屋敷」の美術館はたくさんある。彫塑家、朝倉文夫のアトリエ兼住宅を改装した朝倉彫塑館(東京都台東区)は、柔らかい陽射しを十分に取り入れるため、北側に向かって巨大な窓が設えられている。同じくアトリエ兼住居を開放した岡本太郎記念館(東京都港区)の庭は、「花が大嫌い」、「植物の手入れはしない」と公言してはばからなかった岡本太郎の意向を尊重して、つねに草ボウボウだ。それぞれに、展示作品とは異なる形で家主の考えが生きていて、私達に新しい発見を与えてくれる。
しかもそんな「元お屋敷」の美術館は、たいていが日当たりのいい丘の上など「立地がいい」。だから、美術館の帰り道はあえて遠回りしてみると、周囲の散歩がとても楽しいのだ! 全国にはまだまだたくさんの「お屋敷」美術館があり、生まれては消え、消えては生まれる。いつかそんな美術館をすべて訪ねて回るのが今の私の目標だ。
美術フリーライター
浦島 茂世 うらしま・もよ
神奈川県鎌倉市出身。大学時代は美学美術史を専攻し、専門は1920年代の西洋美術・工芸。博物館学芸員資格も取得。卒業後、フランスやベルギー、イギリスなどをはじめ、さまざまな美術館やギャラリーに足を運んでいる。Webや雑誌など幅広いメディアで活躍中。著書に『東京のちいさな美術館めぐり』、『京都のちいさな美術館めぐり』(株式会社G.B.)など。新潮社の教養講座・新潮講座「東京のちいさな美術館めぐり」講師、All About 美術館ガイドも務める。Twitter ID : monoprixgourmet