家のコト

キャシー中島さん「建てた家は7軒!家族が笑顔で集まる家」

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私たちの結婚は突然でした(夫は俳優の勝野 洋)。知り合って1ヵ月で婚約、半年後には挙式。そしてすぐに、東京代々木にマンションを購入したのです。2LDK、落ち着いた雰囲気のマンションでとても気に入っていました。

そこで長女と次女が生まれてちょっと手狭になり、子育てに集中したいと思い、富士山のすぐそばの御殿場に家を建てることに。35年ほど前のことです。その頃は芸能人の田舎暮らしは珍しく、周囲の皆に驚かれました。でも当時、撮影所の多くは玉川周辺にあったため、東名高速を使えば割と便利で、夫は楽しそうに仕事に行っていました。

この御殿場の家は早い話、30代になったばかりの私たちには贅沢な家でした。土地が比較的安かった分、家にお金をかけたのです。5LDK+トレーニングルーム。リビングには暖炉を付けて、玄関の吹き抜けは広くとり、床はウォールナッツのフローリング…とにかくお金がかかりました。ただし庭にはお金がかけられず、百日紅(さるすべり)の木が1本だけ。でも住み始めてから夫と私で生け垣をつくったり、安い植木を買ってきて、テラスをつくったりと庭づくりを楽しみました。

勝野家の原点、御殿場の家。庭にはカフェにしている黄色い小さな家があり、お茶を飲みながらキルトが楽しめる空間になっている

この家で長男が生まれ、私はしばらく専業主婦として、毎日家族のためにおいしい食事を用意することが生きがいでした。トレーニングルームの片隅で趣味だったパッチワークを教え始めたのもこの頃のことです。長男が小学校に入ったことをきっかけに仕事にカムバックしました。

そしてこの頃、鎌倉の極楽寺周辺にも小さな家を建てました。夫が若い頃、極楽寺がロケ地のドラマに出演したことがあり、そのご縁で、撮影場所だった家の方に土地を譲っていただいたのです。1階にパッチワークのアトリエとショップ、2階が住まいとなるように建て、週末をそこで家族と一緒に過していました。とても可愛い家でよく私の本の撮影にも使いました。ここで初めてハワイアンキルトの教室をスタートしたのです。まだ日本ではハワイアンキルトを知る人が少ない頃でした。

そうそう、ハワイにも家を持っています。最初はマウイ島のリゾートエリア、カパルアのゴルフ場の中にある古い家でした。結婚して5年目ぐらいに遊びに行ったマウイで一目惚れして手に入れた家です。子供たちが小さい頃は毎年、夏と冬に1ヵ月間ずつ滞在していました。2000年にその家を売り、次はオアフ島ホノルルのアラモアナに新築のコンドミニアムを購入しました。アラモアナのビーチが窓から見え快適で家族の大好きな部屋です。信頼のおける不動産屋さんにお願いしたので、買い替えはとてもスムーズでした。

そして現在は東京の三軒茶屋に住まいを移しています。私が45才になった時、東名高速で通いながら、TVの仕事やパッチワークの仕事をしていましたが、体力の低下を感じ、また子供たちの進学のことも考えなくてはいけなかったからです。三軒茶屋は懐かしさがある温かい町でどこへ行くのも便利です。それでも田舎暮らしに慣れている私たちは土が恋しくて、屋上に庭をつくり桜やオリーブ、バラなどを植えてストレス解消しています。

と、なんだかんだ、実は今までに家を7軒も建てました。建てている時は楽しくて、インテリアを考えている時は最高に幸せでした。娘に「勝野家にお金がないのはママが家を建てちゃうからだ」とよく言われます(笑)。そうかもしれません。「趣味は家を建てること」、なんてすばらしいことだと思いませんか? 家族が集まってわいわい笑顔でいられる、そんな家をつくってきました。それはこれからも続けると思います。

さて御殿場の家ですが、今はキャシー中島のキルトミュージアムになっています。この家はどうしても残しておきたくて…。だって勝野家の原点なのですから。

タレント・キルト作家
キャシー中島 キャシー・なかじま
ハワイマウイ島生まれ。1969年モデルとして芸能界デビュー後、テレビタレントとして活躍。俳優の勝野 洋氏と結婚後は御殿場に移り住み子育てに集中。その後、芸能活動を再開しながらパッチワークスクールを主宰、現在、全国8店舗のキルトスタジオの経営に携わり、キルト製作およびデザインを手掛ける。日本ではハワイアンキルトの第一人者として、海外ではアップリケキルトの製作者として活躍。大きなタイトルも数々受賞。2012年にキルト生活40周年を迎えた。キルト関係の著書は60冊超。

月刊不動産流通2014年7月号掲載ƒ

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