(Jタウンネットより)
[となりのテレ金ちゃん−テレビ金沢]2016年1月7日放送の「仰天コロンブス」のコーナーで、「尾山神社の神門はなぜ変わったデザインなのか」という疑問を解決していました。
確かに県民にはなじみ深いものですが、よく考えるとベランダのような手すりに、ステンドグラス、煉瓦の石門と神社には似つかわしくありませんね。

金沢市オープンデータより
建て直しの声も上がったが・・
尾山神社は由緒ある神社だと思われがちですが尾山神社として造営されたのは明治に入ってからなのです。前田利家公の主祭神にはしていますが藩政時代は違う名前で別の場所にありました。
造営されたばかりのころの絵を見ると神門のなく、神門を造ったのは明治8年、利家公の威光を示し参拝者を増やすためでした。そして、その当時の最先端の設計で「擬洋風建築」という洋風を真似て作った建築法でつくられました。その擬洋風建築の中でも和漢風という種類に入る中国の要素も取り入れられた設計なのです。
門のアーチは日本や中国で伝えられている浦島太郎の竜宮城を思い出させる「竜宮造り」を取りいれています。
そしてこの神門を作るにあたり、富岡製糸場や第一国立銀行に視察に行ったそうなのですが、確かに似ているところもちらほらあります。
しかしやはりこの擬洋風建築は、神社にふさわしくないのではという立て直しの声もあがりました。改築の設計図までも作成されましたが、結局その費用はなく実現はしなかったそうです。
その後、この神門は昭和10年に旧国宝に、昭和25年に重要文化財に指定され、批判の声はなくなり現在にいたいます。
けれどもとってもおしゃれな神門。古いものとあたらしいものを好む県民性の石川県にあってこのデザインはなかなか素敵ですよね。(ライター:りえ160)