8ミリフィルムで発見、1950年代の「ヒロシマ」捉えた映像

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(Jタウンネットより)

[Jステーション−広島HOMEテレビ]2015年5月28日放送で、平和記念資料館の館長の家で発見された、貴重な8ミリの映像を取り上げていました。

広島平和記念資料館(m-louisさん撮影、Flickrより)

広島平和記念資料館

今から約60年前、1956年の平和記念式典。当時、平和公園の中には、まだバラックが残されていたため、広島市が幕で囲みを作っていました。

その翌年、1957年の式典の映像では、原爆ドームの向こうに見える、旧広島市民球場の姿がありました。一月前に完成したばかりのナイター照明が見えます。式典に参列した人々は、慰霊碑を囲むように祈りをささげています。

初代館長が生涯をかけて集めた貴重な資料達

これらの映像は、平和記念資料館初代館長、長岡省吾さんの家で見つかりました。長岡さんは、被爆者の数や被曝線量の調査の為、膨大な資料集めにその生涯を捧げました。

長岡さんの家族が、自宅に残されていた8ミリフィルムを発見し、5月28日、平和記念資料館に寄託しました。

長岡さんの次男、長岡錬二さんは、「長岡省吾の今まで歩んできたものを見直していただきまして、非常に感謝しております。親父は写真が大好きで、カメラを常に首からぶらさげていましたから」と話します。

復興の歩みを伝えるカラー映像も

1950年後半、完成して間もない平和記念資料館の映像の中には、熱心に写真を見つめる子供たちの姿が残されていました。

カラーで残されていたのは、広島の復興を全国にアピールした、「広島復興大博覧会」です。熱気に包まれた市内の様子が映されています。平和記念資料館は、原子力の平和利用を紹介する「原子力科学館」として使われ、放射性物質を扱うマジックハンドの展示も人気を博しました。

映像には、長岡さんの先導で、当時のネール・インド首相が資料館を見学する様子や、イギリスの水爆実験に反対し、被爆者が初めて、慰霊碑の前で座り込みを行ったことも記録されています。

映像の他、長岡さんが生涯をかけて集めた写真や、爆心地を測定した資料など、1万点を超える資料が見つかりました。資料館では、今後これらを、整理・調査していく予定です。

被曝70年を迎え、被爆体験を語れる人も少なくなってきた今、このような貴重な映像が残っていくことが、被曝の実相を多くの方に知ってもらうためにも、必要な事なのではないでしょうか。(ライター:haruhana)

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