暮らしのコト

麺は口ほどにものを言う~ご当地ヌードル探訪~

100年近く受け継がれる“朝ラー”聖地の温と冷 静岡県藤枝市の「志太系ラーメン」

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日本各地に根付いた「麺料理」を求めて、全国を巡る「ご当地ヌードル探訪」。今回は、静岡県藤枝市にやってきました。藤枝市は明治期に茶業の街として発展し、生産から貿易までお茶に関する産業が活発でした。今でも京都の宇治などと並び“玉露の三大生産地”として知られています。

観光案内所が設置されており、街のことを詳しく教えてくれます。

観光案内所が設置されており、街のことを詳しく教えてくれます。

海外などに茶を輸出していた藤枝製茶貿易の元社屋。茶業全盛の時代の名残です。

海外などに茶を輸出していた藤枝製茶貿易の元社屋。茶業全盛の時代の名残です。

そんなお茶どころが、近年“朝ラー”という食文化で脚光を浴びています。藤枝市の大部分と隣の焼津市や島田市の一部などを含む旧志太郡には朝に開店するラーメン屋が多く、住民は朝からラーメンを食べるらしいのです。

その習慣は「マルナカ」という1軒のラーメン屋から始まり、地域に波及。その過程で誕生したマルナカの味に倣って作られたラーメンは「志太系ラーメン」と呼ばれるようになったようです。では、発祥の店で話を伺ってみましょう!

■中華そばと冷やしをダブルで食す

1919年創業のマルナカは、地域で一番の老舗ラーメン屋。午前8時半に開店すると同時に、道路沿いの一軒家にお客さんが集います。

1970年ごろから使い続けている看板の文字は薄くなり、一見するとラーメン屋とはわかりません。

1970年ごろから使い続けている看板の文字は薄くなり、一見するとラーメン屋とはわかりません。

テーブル席のほかに小上がりもあります。

テーブル席のほかに小上がりもあります。

店に入ったら、券売機で食券を購入。そこには「中華そば」というメニューのほかに「冷やし」というボタンが並んでいました。実は、温かいラーメンとともに冷たいラーメンを提供しているのも志太系ラーメンの特徴のひとつ。三代目の小栗由江さんに案内してもらいましょう!

熱々で運ばれてきた「中華そば 並」。

熱々で運ばれてきた「中華そば 並」。

志太系ラーメンは温と冷をセットで食べるのが流儀と言われています。そこで中華そばと冷やしの両方を注文。最初に運んできてくれたのは、温かい「中華そば 並」でした。

小栗さん「だいたい最初は中華そばを出して、後からタイミングを見て冷やしを持っていきます。もちろん冷やしからや、一緒に食べたいという要望があれば合わせて作りますよ」

具材はチャーシューメンマなど、いたってシンプル。ほんのり湯気の立ったブラウンのスープは、朝の胃袋に優しそうな油控えめのあっさりとしたしょうゆ味です。

小栗さん「だしは豚肉のもも、それから昆布かつおぶしを使って取っています」

スープにはだしから出た風味が生かされていました。ひと口飲めば、動物系の味わいが舌に広がり、ほのかな魚介の香りが鼻から抜けていきます。

丼ぶりをぎっしり満たす麺が、具材の間から顔を出します。

丼ぶりをぎっしり満たす麺が、具材の間から顔を出します。

麺はストレートの中太麺で、もっちりとして食べ応え十分。丼ぶりからあふれんばかりに入った麺量にも驚かされますが、志太系ラーメンには次が控えています。

「冷やし 並」。わさびと紅しょうがのっているのが特徴です。

「冷やし 並」。わさびと紅しょうがのっているのが特徴です。

「冷やし 並」は、中華そばを食べ終わったころに運ばれてきました。涼しげなガラスの丼ぶりを受け取ると、手のひらにひんやりとした感触。きんきんというほどではなく、適度に冷えたしょうゆスープには甘みがプラスされていました。

小栗さん「だしも麺も中華そばと同じものです。でも麺を水で締めたり、スープを甘めに仕上げたり、冷やしにはもうひと手間をかけています

冷やしも丼ぶりいっぱいに麺が詰まっています。

冷やしも丼ぶりいっぱいに麺が詰まっています。

水で締めたという麺は、つるつるでしこしこ。さっぱりとした味わいで、2杯目なのにどんどん胃袋に収まっていきます。さらにトッピングされているわさびを溶かせば、味の変化も楽しめます。甘みのなかに加わる、ツンとした辛味がたまらない! 気づけば、丼ぶりはカラになっていました。

小栗さん常連さんも、中華そばと冷やしの両方を食べる人は多いですね。でも、うちは結構量があるから、1杯でおなかいっぱいになるんじゃないかなとひそかに思っているんですけど(笑)」

それでもつい2杯頼んでしまうのが、マルナカの不思議な魅力。朝にぴったりなあっさり味で、すいすい食べてしまうのです。志太系ラーメンの神髄を堪能しました!

■旧志太郡の朝ラー文化の始まり

朝の8時半からお昼どきまでほとんど客足が途切れず、その多くが地元の客。マルナカは、まさに旧志太郡の朝ラー文化を象徴する店です。始まりは小栗さんの祖父にあたる初代・小栗喜一さんが創業した屋台でした。

小栗さん「祖父は隣町・焼津の港の近くで夜鳴きそば(夜に屋台でラーメンを売り歩く商売)を始めたと聞いています。それから藤枝に移って、店を構えたのが1935年ごろ。当時は昼から夜遅くまで営業していました

ところが客の来店する時間帯が、なぜか朝早くなっていったそうです。

小栗さん「私が小学生のころでした。だんだんと朝早くから店をのぞきにくる人が増えてきたんです。なかには6時に来る人もいて、店の前で開くのを待ってもらうのもつらいから、祖父が40年くらい前に朝8時半に開店することを決めたんです

三代目の小栗由江さん。夫の孝昌さんと2人で店を守る。

三代目の小栗由江さん。夫の孝昌さんと2人で店を守る。

朝早くから店に人が集まる理由は、産業にあったと言われています。かつて茶業が盛んだった旧志太郡では早朝から市場で働く人が多く、仕事の帰り道に腹ごしらえしようと朝から飲食店に足を向ける人が多かったそう。そうした客の要望に応えたのがマルナカだったのです。

では、マルナカ独特の中華そば、冷やしという2本柱のスタイルが確立したのは、いつだったのでしょう?

小栗さん「これも祖父の時代です。創業時からのメニューは中華そば。ただ、そのころはラーメンというもの自体が普及していなくて、祖父の作ったラーメンは脂っこくて食べられないと言われたらしいのです。それで今のような、さっぱりとした味に途中で変えたそうです」

冷やしを考案したのも、同じく初代でした。

小栗さん冷やしは戦前にはあったと思います。ある夏の暑い日、常連の女性客に中華そばは熱くて食べられないと言われたそうです。そこで水で洗った麺を冷めたスープに入れて出してみたところ喜んで食べてくださったので、後にちゃんとしたメニューにしようと工夫を重ねて生まれました」

その後、旧志太郡にはマルナカのスタイルを踏襲するラーメン屋が多く誕生していくことになります。

創業時からほとんど姿を変えていない中華そばと冷やし。

創業時からほとんど姿を変えていない中華そばと冷やし。

旧志太郡のラーメン屋の多くはマルナカのように朝から営業するという共通点があります。塩やとんこつなどマルナカとは違った味を追求する店も少なからず存在しますが、これらは朝ラー文化圏に属していても志太系ラーメンとは異なるもの。マルナカの味を目指して作られたラーメンだけが、志太系ラーメンと呼ばれています。

小栗さん「祖父は母(2代目)に『自分にとってうまいラーメンを作りな。だから味は変えてもいいよ』と、教えたそうです。でも母は味を変えなかったし、私も昔のままの味でやっていきます。いつも来てくれる地元のお客さんにとっては、食べ慣れている味が一番だと思いますから」

マルナカは100年近くもの間、地元に愛される旧志太郡の伝統の味を守り続けてきました。志太系ラーメンは、時にマルナカ系ラーメンとも呼ばれます。そこにはきっと、マルナカへの尊敬や親しみが込められているのでしょう。

マルナカがあるJR藤枝駅周辺に志太系ラーメンの店が多いのはもちろんですが、朝ラー文化圏はさらに広く、隣駅の六合や西焼津にも名店と呼ばれる店が存在します。胃袋に自信のある方はいくつかの店をはしごして、旧志太郡に息づく独特のラーメン文化を体験してみてはいかがでしょう?

  • 店舗情報
    ● マルナカ
    住所:静岡県藤枝市志太3-1-24
    電話:054-646-1516
    営業時間:8:30~13:15(日祝第2・4土曜休)

※記事中の情報・価格は取材当時のものです。

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