テーマ:お隣さん

あんがちょクリスタル

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巡は段ボールを両脇にヒョイと抱えて言う。
「違うよ。あたしのショーヒンをこれに入れて発送するのさ」
「ショーウヒン……ですか?」
「それよりカワモトさん、あんた家財道具すくないねぇ。こんだけ?」
大きなものはベッドと座卓だけだった。
「はい。今のところは」
「そうなんだ」といって巡はニヤリとした。
 最初に出会った日から、巡は拓三の部屋を私物化することを決めていた。

 拓三はベランダのガラス戸をロックした。巡は自分の部屋で仕事している。夜中に彼女が来ることはない。ガラスが曇っていた。今夜は冷え込むなと思い、水色の遮光カーテンを引いた。
 こんな日は早く寝るに限る。電気ストーブは効率が悪い。いくらつけても温まらない。
 布団にもぐり込む。ついさっきまで巡が寝ていたベッドだ。頭まで布団をかぶると深く息を吸い込む。いつもの香りだった。深みのある甘さでお香のような香り。頭がくらくらした。たぶん巡が使っているシャンプーか石鹸の香りだろう、と拓三は思っていた。巡が愛用しているトワレがサンローランのオピウムであることなど思いつきもしない。この魅惑的な香りに包まれて眠る快感を覚えてからは毎晩熟睡できる拓三だった。
 拓三は、巡が昼間だけ部屋を使わせて欲しいと言ってきたときのことを思い返す。

 それは、引っ越して一週間ほどたった土曜日の午後だった。
仕事が休みだった拓三は、部屋の掃除を終えてゴミ袋を手にして部屋を出た。すると、宅配便の業者が巡の部屋から段ボール箱を運び出して台車に積んでいた。その段ボールには見覚えがある。この中にはショーヒンが入っているのだろうと推測した。山積みされた箱の向こうに小柄な巡がいた。発送伝票を渡し終えて台車は階段に向かった。
「ようカワモトさん」と声をかけられた。
「こんにちは」といって拓三は口ごもる。まだ巡の名前を知らなかったのだ。
「段ボールありがと。助かったよ」
「いえ」
「今日十箱だしたからだいぶスペースできたよ。これで今夜は体を伸ばして眠れる」
拓三には巡が何をいっているのかさっぱりわからない。
「そうだ、カワモトさん。これから時間ある?」
休みなので時間はたっぷりある。
「ファミレスいこうよ。メシおごるからさ。段ボールのお礼」
酷い言葉遣いの割には律儀な人だと拓三は思った。
 このちっちゃな女の人は何者なのだろう。箱の中身は何なのだろう。なんていう名前だろう。好奇心がムラムラと湧いてくる拓三だった。

あんがちょクリスタル

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