テーマ:お隣さん

あんがちょクリスタル

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「この、ごじゃっぺが!」
 三年前にデザインの専門学校を中退した時、父親から言われた言葉だ。茨城では、ろくでなしのことをこう言うらしい。学校をやめたのなら水戸に戻って家業を手伝えとも言われたが、川本拓三はまだ東京にいる。

 十二月になり急に冷え込みが厳しくなった。
 拓三が埼京線の板橋駅に着くと八時を回っていた。駅前の惣菜店で二割引きになった弁当を買う。駅から川越街道の方角に十五分ほど歩くと住宅地の中に二階建てのアパートがあった。拓三は外付けの階段を昇り、四つ並んだ部屋の一番奥のドアに鍵を差し込む。
 部屋に入り電灯のスイッチを押す。六畳と二畳の台所。風呂はないが、ユニット式のシャワー室がついている。これで月の家賃が六万五千円というのが高いのか安いのか拓三にはわからない。六畳間にしては広く感じるのは家財道具がほとんどないことと、掃除がゆきとどいているからだろう。
 座卓の上に弁当の入った袋を置き、ダウンをハンガーにかけて押入れの中にしまう。
 拓三は部屋の奥に向かって声をかける。「ただいま」
 その方向にはベッドがある。掛け布団はこんもりと盛り上がっているが、動きはない。
「メグル。いま帰ったぞう」さっきより少し声が大きい。
 眩し気に目を細めたショートカットの女の顔が布団から出た。化粧をしていないのでぼんやりした印象だが、顔立ちは整っている。どちらかといえば美人の部類に入りそうだ。彼女が巡である。
 半身を起こして伸びをする。
「おかえりーおつかれーたくぞー」あくびをしながら言うのでたくぞーのところがあやふやに聞こえる。
 ベッドから抜け出るとシーツを引っ張り掛け布団を整える。黒地にスカル模様のロンTにスキニージーンズ。巡はかなり小柄だ。
「そんじゃ」と言ってベランダのガラス戸を開けて外に出て行った。
 拓三は巡の行動には全く興味を示すことなく弁当を広げる。ヒレカツを口に運び、良く噛んで味わいながら食べる。
 巡は拓三の隣に住んでいる。拓三が昼間出かけている間にベランダから部屋に入り、自炊したりベッドで寝ていた。自分で家賃を払っている部屋があるのに、なぜそんなことをするのかというと、彼女の部屋に大きな問題があったからだ。
 巡の小柄な体は柔軟で、ベランダからベランダへ危な気なく移る。サッシを開け、深い臙脂色のカーテンを持ち上げて自分の部屋に巡は戻った。
 そこは物で溢れていた。拓三の部屋と同じ広さとは思えない窮屈感と圧迫感だ。壁沿いの段ボール箱は天井まで積まれ、床には布地や金属のプレートが散らばり足の踏み場がない。これでは巡が身体を横にして眠るスペースなどない。

あんがちょクリスタル

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