テーマ:お隣さん

壁のむこうの色

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「壁のむこうって見えないから、不安だよね」
 お隣さんは氷を袋に入れて、あとタオルを持ってきてくれた。
「どんなか分からないから不安だよね」
 横になっている体にさくらがまだ張り付いている。
「でも今いる場所よりはいいかもしれないって、そう思わない? 児相はひどい場所ではないよ。子供を守るためにあるの。私は嘘をついちゃった」
 嘘?
「本当はね、うち父親はいない。逃げたんだよ。怖い父親から逃げたの。そうして、新しい生き方を始めたところなんだ。嘘ついてごめんね」
 お隣さんの目が潤んでいた。悲しそうな顔で氷を目の上に置いてくれた。あんなにむかついていたお隣さんが、全然違うひとに見えた。
「安心できる場所に、いってほしい。手に入れてほしい」
 胸が熱くなった。俺も、俺も、そうしたい。二人を安心できる場所に連れて行きたい。

 お隣さんは車を出してくれた。身体も目も痛かったけど気になるほどではなかった。後部座席に座る優也は頬を冷たいタオルで抑えながら、さくらは縮こまったままで、二人をまた両脇に抱いて、そこはすごく静かだった。20分ほど走って小さな明かりが一つついている建物についた。車を降りてお隣さんは優也の手を繋いだ。さくらは俺の体にしがみついてなかなか歩かなかった。
「行こうか」とお隣さんがこちらを見る。
「柊也君。あなたは本当に大丈夫なの」
 自分が大丈夫かどうかあまり考えたことがなかった。
「優也君が前に言ってた。お兄ちゃんを助けてって」
 優也がこっちを見ている。
「お兄ちゃんも助かってほしいって思ってるんだよ?」
「もう働けるから俺」俯いてそう言った。
「……わかった」
 そうして、離れないさくらの体をぐっと離してしゃがむと、目をしっかり合わせた。
「さくら。兄ちゃんも。兄ちゃんもすげえ怖いけど、頑張るから。だから、さくらも頑張れ。な」
 さくらは小さい手で顔を触ってきた。
「いたい?」
「……いたくない」
 さくらの手はすごく優しかった。小さくて、暖かかった。涙が我慢できない。
「いたくないよ、さくら」
 そう言うとさくらの手をとってお隣さんにお願いした。
 お隣さんは優也とさくらの手をしっかりと握って、建物に歩いていった。要塞のように見える。この壁の中はどんな色だろう。優也とさくらが大好きな色だといい。さくらと優也はちらちらと何度も振り返りながら消えていった。

 それから翌日学校に退学届を出した。アイカと話したが、何を話したかよく覚えていない。傷つけたような気がする。空っぽのようになって街を徘徊した。そして深夜、荷物を取りにアパートに戻ると、部屋はさくらの紙くずと優也のミニカーが散らかったままだった。そこにはもう色もなにもなかった。無色だった。疲れた。そう思った。なにもなくなった。もう、なんにも。取りに戻ったのはなんだったのか。とくに部屋には何もなかった。ふと、隣の家を見つめる。お隣さんは寝てるだろうか。

壁のむこうの色

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