壁のむこうの色
なにが正しいのか自信がなくなると逃げ出したい気持ちになった。
「柊也君。家っていうのはね、雨から逃げてきたり、楽しいことを持ち帰ったり、嫌なこともいいことも全部背負ってたものを置ける、安心をくれる場所のことだよ」
……なんだよ、それ。それが家なら、俺たちには家なんか……
「とにかく気にしないでください」
そう言って寝たままのさくらを抱いて立ち上がった。
「だったら、何か困ったらすぐにうちにきなさい。手助けするから」
お隣さんは怒ったようにそう言った。真剣に自分たちのことを考えているのが伝わってきた。今までの近所の人とは大分違った。だけど、それがなんだ。こんな明るい家に住むこの人に何も言われたくない。
おもちゃに夢中になっている優也をひきずるようにして部屋を出ていった。
それからお隣さんは前以上に、優也やさくらを気にするようになった。昼間高校に行っている間お隣さんはふたりの様子をみているようだった。公園にいるときは一緒になって遊んでくれると優也が嬉しそうに話す。どれだけやめてくれと言ってもお隣さんはふたりの面倒をみるのをやめなかった。
俺はというと、なんだか身体がだるくて授業は最近まったく起きていられなくなった。親父の機嫌をとるためにはもっと稼がなければいけないからバイトも増やした。余裕はどんどんなくなっているのが自分でも分かった。
「柊也。大丈夫?」
学校の教室でアイカがそう訊く。
「大丈夫だよ。アイカは大丈夫?」
「うん」
アイカとゆっくり話す余裕もなくなっていた。
そんなある日、眠すぎて重い体を引きずって高校からアパートに帰ると、あの公園で元気に遊ぶ優也とだいちくんの姿が目に入った。優也は落ち着きのない子だけどあんなに元気だっただろうか。普通の子供みたいだ。すると、目を疑った。
「さくら」
さくらは、あんなに怖がっていた揺れる犬に乗って遊んでいたのだ。そばで笑顔で体を支えているのは、お隣さんだった。
なんだろう、この気持ち。
自分の中の嫌な塊が爆発しそうになった。足早に公園に向かう。揺れる犬に乗るさくらを力強く抱きかかえてお隣さんを睨んだ。俺の。俺の、家族だ。
「帰るぞ、優也」
俺の家族は俺が幸せにするし、ふたりを守るのは、俺だ。
「兄ちゃんはおこりんぼうだ」
家に戻ると優也がいった。
「楽しいんでるのに、なんでいけないんだよ。さくら今日トイレでおしっこできたんだぞ」
「え?」
「おとなりさんが教えてくれたんだ。そうしたらさくら、トイレでおしっこしたんだ。さくらだって、おとなりさんが大好きなのに。なんでじゃますんだよ、にいちゃん」
壁のむこうの色