テーマ:お隣さん

壁のむこうの色

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「きったねえ部屋だな。なんなんだよ」
 そう言いながら親父はいつもの定位置、ローテーブルの前の布団に腰を下ろした。
「おい、柊也。お前うちの状況わかってんだろう? のんびりすんのやめろよ。働けるだけ働けって言ってんだよ。もう16だろ」
「けど、ふたりの面倒」
「そんなん優也がやりゃあいいんだよ。来年小学生だぞ。さくらもうオムツとれたんだろう?」
 さくらのほうを見ると小さい体が縮こまっていくのが分かった。
「とれてないのか? きったねえな」
 でかい声に潰されるように小さくなる。今日も親父は機嫌が悪いようだ。
「……もう、寝ろよ」
 小さい声でそう言った。親父が帰宅するとそればかりが頭にめぐる。早く、寝ろ。そればかり。
「あ? 飯つくれよ、メシ」
 二人を寝かしつけなければいけないし、仕事にそろそろ出なきゃいけないし、親父のメシもやらなきゃいけなくなった。
 チャーハンを作る間、チャーハンを作る音と親父が酒を飲む音だけになった。ふたりは怖いくらい静かになる。どこかにいってしまったんではないかと心配になるくらい、気配すらなくなる。だから何度も部屋をのぞいた。ふたりがちゃんとそこにいるか、確かめながら作った。
 親父は俺のことを、何も頑張らない使えないガキと言う。優也のことは、脳みその足りないばかと言う。さくらのことを、汚いと言う。
 何も頑張らない、脳みその足りない、きたねえ親父のためにチャーハンを作って、それをたいらげた親父はそのまま布団に横になって寝た。でかいいびきの中、優也とさくらと三人で音を立てずに布団を敷いて、ふたりは静かにそこにはいった。
「お兄ちゃん、おやすみ」
 優也がいった。
「おやすみ」
 さくらがまた服をぎゅっと掴んできた。
「大丈夫だよ」
 そう言ってふたりから離れると、大事な襖をそうっと閉めてから、家を出た。家を出るといつも大きく深呼吸するみたいに息を吸う。酸素が薄い場所にいたような感じ。
 チャリを10分ほどこいで繁華街をいくと、そこにバイト先の飲み屋がある。中学のとき、ここのママと偶然知り合ってから、年をごまかして働かせてもらっている。昔風の、中年のひとが集まるような店だ。忙しいときは忙しいし、暇なときは暇だけど、ここで働いている間は違う自分になれるような気がしていた。なんでもできそうな、大人な気分になれた。だから休みの日でもここに来てしまう事すらあった。ふたりを放ったらかして逃げる自分は最悪だとも同時に感じたけど。

壁のむこうの色

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