壁のむこうの色
「柊也」
店の外で客を見送っていると、店の横の階段のほうから声がした。ここで働くもう一つの楽しみ。
「アイカ」
華奢で小さな体で自信なさげに俯きながら、だけど優しい笑顔で手をふるアイカ。
「こんな時間にどっか行くの?」
「ちょっとコンビニいくだけ。今日は、いそがしい?」
「うん。まあ、まあ」
「あの、ノート。ノートできないでしょう? うつすの」
「英語のやつ?」
「そう。あまってるノートあるし、よかったらやっておこうか? 柊也のぶんも」
「え、いいの」
「いいよ。だって、寝る時間なくなっちゃうでしょ」
「ありがとう」
アイカは、偶然この店の上のアパートに住んでいることがわかった、最近仲良くなったクラスメートだ。すごく優しい子で、働いているとよく会うし、学校でも一番話せる。他のひとには感じない、控えめで優しい、そしてなんだか寂しい空気が好きだった。
アイカと話せて力がわいた。深夜3時まで疲れを感じずに元気に働けたから、チャリを飛ばして家に帰る。アパートの前まできて家の中が静かなままなのが分かるとほっとした。家の鍵を開けて中に入って、親父のいびきを通り抜けて、大事な襖をあけ、さくらと優也の寝顔を見ると、さらにほっとした。
よかった。今日も無事。
そのままシャワーも飯もトイレも行かないで二人の横で寝てしまった。
目を閉じたと思った瞬間いつも朝になる。でかい目覚ましがなって親父がもそもそと起きだすのが分かる。無理やり目を開けて体を起こすが、だいたいふらふらして調子が悪かった。幸い、親父は朝しっかりと起きていつもすぐにどこかに行く。無職だから仕事ではないだろうけど、黙ったまま朝早く出ていくからそれは助かった。
体をぴんと起こすとめまいがすごいから中腰みたいな状態で朝飯と、優也とさくらの昼飯用の弁当をつくる。
あ、ごみだ。
まだふらふらして調子が悪い。そのままゴミを出しに外に出た。すると見たことない女の人が立っていた。
「あ、おはよう。はじめまして」
眩しいくらいに朝から明るい、40歳くらいの女の人。服装は派手ではないけどきちんとしていた。
「隣に越してきた藤本です。よろしく。あとでちゃんとご挨拶にいこうと思ってたんだけど……お母さんはいる?」
「うち母はいまぜん」
「あ、そうなの。ごめんなさい。小さいお子さんも見えたから」
正直めまいで調子が悪いから早く話を終わらせたかった。
「挨拶とかべつに大丈夫なんで」冷たく不愛想に言った。
壁のむこうの色