テーマ:お隣さん

物書きの隣人

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「勿論、いいとも。帰ったらサインしよう」
「ありがとうございます! じゃ……帰りましょうか?」
僕はアパートを指差して先生と歩き出した――――筈だった。
気付いて振り向いた時、先生はアパートとは逆方向に向かって歩き出していた。
「せ、先生? どこか行くんですか?」
「悪いね。実は今からアルバイトの面接があるんだ」
「ア、アルバイト……?」
一瞬何かの冗談かと疑ったが、大先生の顔は真剣そのものである。これから戦場に繰り出そうという緊張感と、覚悟を決めた男の顔のようでもある。
「じゃあ、また後で」
呆気に取られている僕に先生は右手を上げてお別れを言うと、背中を向けて歩き出した。アルバイト、と言った。僕は何故という気持ちが湧く以前にただただ意味が分からず、立ち尽くした。離れていく大先生の背中をぼんやりと見つめながら。すると途中、大先生が再び振り返った。
「こんなに嘘が上手いのに、どうして私は小説家になれないのだろうね」
先生はジョークを言って、笑ってくれたまえよといった風に、顔をほころばせている。
それを見て、僕はふっと胸をなで下ろした。
「先生、言うなら親父ギャグとかにしてくださいよ〜。先生がアルバイト始めるとか、どんな冗談ですか。取材とかかなって思っちゃいましたよ。それに、先生はもう有名な小説家になってるでしょう」
大先生は背中を向けて、少し青みがかった夏の夜空を見上げた。
「親父ギャグか……。そうだね、じゃあとっておきのをひとつ。私、山田國夫賞E評価だったよ」

人生死ぬまでチャレンジ、おじさんの背中は語っていた。

物書きの隣人

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