テーマ:お隣さん

物書きの隣人

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「凄い、驚きました。先生はこの辺りに住んでいるんですか?」
緊張のせいか、缶コーヒーを持つ手が微かに震えているが、僕は心を落ち着かせて聞いた。
「そうだよ。そこの安アパートに住んでいる」
そう言って先生が指差した先には、僕のアパートがあった。頭の中がカオスになった。あの超売れっ子有名作家の山田國夫先生が、同じアパートに住んでいたなんて、いきなり言われて嗚呼そうだったのと受け入れられる筈がない。作家別売り上げランキングでも三年連続で一位に君臨し、潤沢な資産を築いているであろうお人が、どうして僕のような貧乏学生と同じアパートに住もうか。ありえない。
「私はこの場所がとても気に入っていてね。ここだけ時間がゆっくりと流れているような気がするんだ。そう思わないかい」
「はい、よく分かります」
嗚呼、流石は大先生! 言うことに一々深みがある。生涯あなたのファンでいることをここに誓います! しかし――、疑問は残る。
「あの、先生……」
僕は畏れ多くも先生に聞いてみることにした。
「こんな事を聞くのは失礼だと思うんですけど。どうして先生のようなお方が、あんなアパートに住んでいるんですか?」
僕が言うと、山田國夫大先生は途端に渋い顔をした。やはり聞くべきではなかったか。機嫌を損ねてしまったろうか。
「私があのアパートに住んでいたら、何かおかしいことでもあるのかね」
「いえ……、そういうわけでは……」
「じゃあどういうわけなんだね」
僕は一旦先生から視線を逸らし、適当なところに目を向けようと探したが、しっくりくる所がなかなか見つからず、その最中、再び先生のズボンのシミに目がいってどういうわけかそこに視線を固定することになってしまった。そして改めて先生に言った。
「だって、それは普通思いますよ。先生はきっとたくさんお金を持ってるじゃないですか。そしたらあんな安アパートよりももっと豊かな暮らしが出来るじゃないですか。それなのに何故あそこに住んでいるんだろうと、気になるじゃないですか」
僕は先生の股間のシミを見ながら、半ば早口気味に言った。すると先生は渋い顔をやめて真剣な顔になった。渋い顔と真剣な顔は一見区別が難しいが、眉間の作るシワの形が微妙に変わることで印象が違って見える。渋い顔の時の先生のシワには「違和感」のようなものが張り付いていた。今の顔からはそれが消えてなくなっている。因みに、股間のシミと眉間のシワはよく似ている。くだらないことを言ってすまない、と思う。

物書きの隣人

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