テーマ:ご当地物語 / 青森市

忘れ雪

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 古めかしい、というよりも場末のうら寂しい町並みの中を、一人黙って歩く。
……駅からそう遠くない所にも、こんな寂れた通りがあるんだなあ。
とにかく寒い。有り難いことに、この裏通りの奥に、一軒だけ開いている店の行灯が見える。手袋をしていない両手に息を吹き掛けながら、その店に飛び込んだ。『道連れ』というその店は、女将一人の小料理屋で、他に客の姿はなかった。
「いきやっしゃじょいせ」
「済みません、ちょっと道が分からなくなってしまって。何か温かいものを飲ませて下さい」
 大橋は、カウンターの一番奥に腰を下ろした。
「あら、お客さまは東京の方ですか」
「ええ」
「私も昔、東京にいたことがあるんですよ」
 女将の言葉が、地元訛りの全くない標準語に変わった。地味な和服に割烹着という身なりだが、立ち居振る舞いに華がある。年の頃五十半ばくらいか。
「燗をつけましょうね。少しばかりですが、何か見繕います」
 酌をしてもらって、肴を突っつく。
「ああ、生き返った」
「ひどい雪になりましたねえ。月初めも何度か雪になりましたが」
 大橋は席を立ち、窓から外を覗いた。大雪だ。何も見えない。とてもじゃないが、歩いて帰れる状況ではなさそうだ。
「これから人に会うんですが、後でタクシーを呼んでもらえませんか。携帯が繋がらなくて」
 携帯という言葉を聞いて、女将は、「え?」という顔をした。
「申し訳ありません。電話はもう処分してしまったものですから、連絡が取れないのです」
「ああ、そうですか。まあ仕方ないですよね」
「この雪では、もうどなたもお見えにならないだろうと思っていたんですよ。実は、今日でこの店を閉めるんです」
「そうでしたか。じゃあ、ぼくが最後の客かもしれない」
 風がないのか、花のつぼみのような大粒の雪が、後から後から落ちてくる。雪自らが、ゆっくりと、その遅さを楽しんでいるかのように舞い降りてくる。大橋は、カウンターに戻り、再び女将に向かい合った。
「青森は久し振りなんです。懐かしい」
 大橋は、燗の追加を頼んだ。
「ご旅行ですか」
「えー、何というか、いろいろありまして」
 ダウンジャケットによれよれのバッグ一つ。女将には、どのように映っているのだろうか。
「余計なことを。失礼いたしました」 
「いえいえ、いいんですよ。実は、昔好きだった人がこちらの生まれで」
「まあ、それは、それは」
「お店は、もうやめてしまうんですか」
「ええ、私もいろいろありまして」

忘れ雪

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