テーマ:ご当地物語 / 青森市

忘れ雪

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「大橋君、よく来てくれたね。いろいろと大変だったんだってなあ。僕にできることがあったら、言ってくれ」
「有り難う。でも、そんなつもりで来たんじゃないんだ」
「何でまた、青森に?」
 菜穂子のことを概略伝え、つい、フラッと来てみたくなったと返答した。
「そうか……そんなロマンスがあったとは、知らなかったな。やけを起こして変なことを考えているんじゃないかと、川端と二人で心配していたんだ」
「何故、そんなことを言うんだ?」
「僕は、プロだぜ。いろんな人に会ってきた。切羽詰まっている人間は、分かるんだよ」
「もちろん、死ぬ気などないさ。震災後の東北に命を捨てに来るなんて、そんなことできるはずがないじゃないか」
 そこまで言うと、大橋は出されたお茶を一口啜って、また口を開いた。
「ただね、俺にとっては、人生も未来も、もうどうでもよくなった」
「そんなことを言うな。まあ、今晩は僕の家に泊まって行けよ。積もる話もあるだろう。飲み明かそうや」
「ああ、有難う。でもね、ちょっとだけ、ソファーで休ませてもらおうかな。少し疲れた」 
「まだ夕飯には早いな。今日中に片付けたい急ぎの案件が一つだけあるんだ。まあ、僕のことは気にしないで、ここで休んでいてくれよ」
「いや、少し休憩したら、当時の記憶を辿って少し町の中を歩いてみたいんだ。昔、あまりの寒さで我慢できなくなって飛び込んだ喫茶店があったんだが、あの時のコーヒーは美味かった。どの辺りだったかなあ。まあ、もう少し歩き回ってみたいんだ。後で携帯に電話するよ」
 お互いの携帯の電話番号を交換した。
「分かった。くれぐれも変なことを考えるなよ」
 三十分ほどうとうとして気が付くと、事務所に小山内の姿はなかった。事務員も外出しているのか、部屋には大橋の他には誰もいなかった。このまま外出するのも気が引けるが、久し振りの青森でもあり、古びたバッグを持って小山内の事務所を出た。見上げると雪催いだった。まだ五時前だというのに、辺りが薄暗くなり、やがて雪が落ちてきた。風に乗って、雪が舞う。見る見るうちに視界が雪で埋め尽くされてきた。裏通りに入った後、どこを歩いているのか分からなくなった。
……やはり雪国だな。
 わずかの間に、白一色の世界になった。どのくらい歩いただろうか。歩いても歩いても大きな通りにぶつからない。完全に道に迷ってしまったようだ。仕方なく小山内に電話をしたが、携帯が繋がらない。電波の受信ができていないのだ。

忘れ雪

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