テーマ:ご当地物語 / 青森市

忘れ雪

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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……俺は、一体何をしようとしているというのか。いやいや、とにかく菜穂子に会いに行くんだ!
「大橋さん。突然そんなことを仰って。娘に…菜穂子に何をしようとしているのですか」
「どうしても彼女に会わなければならない。時間がないのです。今は分からないことばかりでしょうが、必ず、時間が経てば分かるときがきますから。ではこれで」
 一万円札を出そうと思って、平成の札であることに気付いた。女将が、お代はいらないと言うのに甘え、店を飛び出した。
……道連れ、か。いい名前だ。
自分は同行者もいない、帰る場所があるのかどうかさえ分からない旅に出ることになるのだろう。
 外は、一面の白い世界だ。雪は止んでいる。駅はどの方角だろうか。歩いている内に、途中から辺りの景色が変わってきた。不思議なことだが、あの店の周辺だけが大雪に見舞われたようだ。裏通りの凍結した路地を、勘だけを頼りに、急ぐ。雪慣れしていないため、何度も転んだ。バッグを忘れたことに気付いたが、店に戻る時間がない。
 やがて、アーケードの続く大きな通りに出た。新町通りだ。駅の直ぐそばであることに驚いた。「昭和の人」が駅に向かっている。連絡船の最後の姿を目に焼き付けておこうということだろう。駅の姿が直ぐそこに見える。が、なかなか近づいてこない。気が急く。
 やっと駅に到着。入場券を買う。百三十円。桟橋へ急ぐ。銅鑼が鳴った。腕時計を見る。七時二十五分。出航まであと五分。人を掻き分ける。そして、小走りに桟橋に駆け出た。
見送り客だけではない。マスコミも多数詰め掛け、騒然としている。
 大橋は、船のデッキに、あたかもそれが当然のごとく、菜穂子の姿を認めた。三十歳を少し過ぎたはずの菜穂子は、グレーのコートに黄色いマフラーを巻き、大橋が来るのを待っていたかのように、大橋に向かって頷いた。昔よく見た耳当てをして、昔よくしていたように目を細め唇の片側だけゆるめて笑っている。昔から大げさな身振りをしない女性だった。今も穏やかに大橋を見詰め、控え目に手を振っている。
 人に睨まれながらも前へ前へと突き進む。わずか二十メートルほど先に、菜穂子がいる。突端まであとわずかというところまで辿り着いた時、ブザーが鳴った。可動橋が外れる。それまで遠慮がちに振っていた菜穂子の手の動きが、突然、激しくなった。
……ダメだ。間に合わなかった。
「菜穂子~! 生きろ~! 死ぬんじゃないぞ~!」
 辺りは、別れのテープで埋め尽くされている。大橋は、聞こえる望みのない菜穂子に向かって叫び続けた。

忘れ雪

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