忘れ雪
菜穂子は卒業後、故郷に帰った。細かな状況は知らないが、その後北海道に渡り、そこで若くして亡くなったと、人伝てに聞いた。
大橋の転落に伴って周囲の多くの人間が離れていったが、大学時代の親友・川端は親身になって心配してくれた。川端にだけ、自分の置かれた状況を簡単に説明し、これから北に向かうんだと告げた。友は、何も詮索せずに、
「おい隆信。お前、小山内を知ってるよな。今、青森で弁護士をやっているから、寄ってみたらどうだ」
とのみ答えた。
途中、以前に冗談半分で一枚だけ買った宝くじが外れていることを確認し、そのまま上野駅から北に向かった。
大橋にとっての青森駅は、新幹線の停車する「新青森」ではない。新幹線から乗継いで、奥羽本線の青森駅に降り立つ。
四十年振りに見た青森駅前の景観は、記憶にある駅前の様子とは一変していたが、三月ながら、昔と同様、やはり雪一色であった。
菜穂子の故郷を見たい一心で、学生時代の最後の思い出として訪れた青森。あのときも三月だった。
間近で青函連絡船を見ようと、青森駅で入場券を買って、駅構内から続く桟橋まで行った。降りしきる雪に煙る中を出航して行く連絡船の姿が、目に焼き付いている。
……そう言えば、船が出て行くとき「れっこー」という掛け声が聞こえたっけ。
駅員さんに聞いたら、「昔から連絡船で使っている言葉で、レッツゴー、のことなんですよ」と、教えてくれた。駅員さんの津軽弁は、何だかとても懐かしく温かだった。
……菜穂ちゃん。短い人生だったね。
菜穂子もやはり、当時は現役だった青函連絡船で北海道に渡ったのだろうか。
駅前をブラブラしている内、昔、朝市にあった仮設のような店がなくなっていることに気付いた。跡地の付近で聞いて、すぐ傍の大きなビルの地下に市が丸々引越したことを知った。大橋には、街がまさに生まれ変わったように映った。裏通りも道幅が広く、これも、大橋の記憶とは異なっている。当時の面影を求めるのは無理なのかもしれない。四十年経ったというのは、つまりこういうことなのだろう……そんな感慨に浸った。
小山内法律事務所は裁判所の近くにあった。一階が事務所で、二階と三階が住居になっている。いつかは、自分もこんな家に住んで、家族と穏やかに暮らして……一瞬、そんな幻想が浮かび、そして直ぐに消えた。
事務所の応接室で、久し振りに旧友と向かい合う。いい顔をしているなと思った。川端から既に連絡が行っていたらしく、小山内は状況を把握していた。
忘れ雪