テーマ:ご当地物語 / 鳥取県鳥取市

あのころを追い越すまで

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「はい。それじゃあ、また」
 そう言って、男の子はくるりと背を向けると、カランカランと下駄を鳴らして歩き始めた。だが、私の心には、どこか寂しさが残っていた。
 このまま別れては、もう二度と、この男の子には会えない気がする。普段の彼は学生で、私は会社員。生活の時間帯が違うし、偶然男の子を街中で見かけることがあったとしても、普段の彼は普通の男子の格好だ。これだけ愛らしい姿を見せつけられてしまっては、間抜けな私では、彼が彼だと気づけない可能性が大きい。いや、そもそも名前だって聞けずじまいだったのだ。
 もう。二度と、手を離してはいけないのではないのだろうか。そう思った時には、もう私は駆け出しており、次の瞬間には、がしっと彼の浴衣の袖を掴んでいた。
「ど、どうしました」
「……私ね。仕事やめて、実家に帰ろうかなって、思ってた」
 いきなりの私の行動と言葉に、彼は驚きと戸惑いの表情を浮かべていた。しかし、私はかまわず続ける。
「この街って、私が住んでいた街と、雰囲気がどこか似ているの。だから、この街で過ごすくらいなら、実家に戻った方がいいんじゃないかなって思ってた。お父さんもお母さんもうるさいだろうけど、何がしたいのかわからないまま、ただ漠然と仕事をするよりもマシかなって。これが、私の悩み。やっぱり、キミには言っておかなくちゃって」
 少し早口になりながら喋る私に、彼はぽかんとした表情を浮かべていた。その顔を見て、私は一体、何を言っているのだろうと後悔していた。相手は中学生。こんな大人の、彼氏なしのアラサーおばさんの必死な告白など、引かれてしまったに違いない。
 だが。彼は私に対して、予想外の言葉を返してきた。
「……あの、お姉さん。もし良かったら、また会いませんか」
「え?」
「お姉さん、結構面白い人なんで。それにまだ、ぜんぜん話した気がしない」
 男の子は、頬を赤く染めてそんなことを言って来た。今度は私が戸惑いつつも、彼の好奇心が実にありがたかった。
 私は男の子に、自分の携帯電話の番号を教えた。それをもとにSNSのアプリに登録してある私のアカウントを見つけ出し、彼の連絡先を私も手に入れる。が、登録している名前はニックネームだったので、彼の本名がわからなかった。
「キミは、本名、何て言うの」
「あ、言ってませんでしたっけ。夏樹です。古郡家夏樹」
「あら奇遇ね。私は日夏。河瀬日夏」
「お互い、今の季節に、ぴったりですね」

あのころを追い越すまで

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