五時のチャイムの終わりと共に現れた女の子、のこと。
「わざわざありがとう」
僕はそう言って部屋に戻ろうとする。なぜだかこの子と今の僕はとても不釣り合いだと感じる。早いとこ一人になろう。それからお茶を淹れ、さっそくおまんじゅうを頂くことにしよう。いや、待て。カップラーメンがまだこれからではないか。
「暇、ですか?」
閉まろうとするドアをそっと抑え、彼女が顔を覗かせる。
「暇ではないけど」
僕の頭の中には今にも伸びようとしているカップラーメンが浮かんでいた。ふと、ドアを抑えている彼女の爪が目に入る。赤いマニュキュア。茶色い髪と同じで、その背伸びは彼女を逆に幼くしている。
「ではないけど、ってことは、暇になる可能性もあるってことですか?」
僕はその可能性について考えてみる。
「もしも俺が暇だったら、なにがあるって言うの?」
彼女はポケットから封筒を取り出し、ひらひらと振って、いたずらっぽく笑った。
「ちょっとね、お願いがあるの」
大抵の男子に断ることができない、眩しい笑顔で彼女が言った。
というわけで、僕はカップラーメンを諦め、彼女と並んで街を歩くことになった。
「そこがね、ミニストップ。この辺だと一番近いコンビニ。二十四時間営業」
僕が指を指すと、「ミニストップかぁ」と彼女は不満そうな声を出す。
「なんで? ミニストップいいよ。ソフトクリームおいしいし」
通り過ぎながら、僕はミニストップの弁護をする。特に借りがあるわけでも、義理があるわけでもないのだけれど。
「待ち合わせはローソンで〜、おにぎりをふたつ買って〜。って、歌あるでしょ? ちょっと憧れてたんですよねぇ。近所のローソンに」
「え、ないよ、そんな歌。なんて曲?」
「忘れちゃったけど」
「ないって、そんな歌」
「あるよ、あるある」
そう言って彼女はもう一度同じ曲を口ずさむ。
恋人と住み慣れた街を、そういえばまだ名前も聞いていない女の子と歩いている。この街の住人としては二年先輩になるわけで、自然それは散歩というより、街案内になる。僕はまだどこかでこの街に来ている感覚でいた。だけど案内できるほど、僕はこの街に住んでいた。
「気がつくと、自分の街になってくるものなのよねぇ」
僕が引越しをすると決めた日、心配する父と、反対する姉を尻目に母は嬉しそうにそう言った。
子供の頃からなにひとつ長続きしなかった。「やりたい!」と親に頭を下げて始めた習い事は、翌週には「やめさせてくれ!」と頭を下げて退会した。水泳、ピアノ、英語、サンバ、フラメンコ、サンバ、サンバ。なにひとつやり抜いたものなどなかった。
五時のチャイムの終わりと共に現れた女の子、のこと。