テーマ:一人暮らし

五時のチャイムの終わりと共に現れた女の子、のこと。

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 2 だから本当はドアなど開けてはいけない。
 3 けれどあとになって「誰だったんだ」ともやもやするのは寝つきが悪い。安心してリビングにだって貼り付けない。
 4 いいからドアを開けてしまえばいい。

 僕はドアを開けた。そこには二日ぶりの外の世界と、見知らぬ女の姿があった。
 女、という表現はどうだろう。身長は高いが、顔は童顔。部屋着。染めたばかりに見える茶色の髪が、彼女をさらに幼く見せていた。
「びっくり」
 自分でインターホンを押したくせに、彼女は開口一番そう言った。
「この階の端からね、順番にインターホンを押していったの。だけど誰も出なくて。出ないことが続くとね、もう誰もここにはいないんじゃないかって気がしてきません?」
 僕はドアから顔を出して、隣に並んだドアたちを見つめた。不在なことは大変けっこうなことだ。外へ行く予定がある。それはなんだか素晴らしいことのように思える。
「こんにちは」と彼女は言った。「はじめまして」とも。それから「これ、あげる」と急に親しげに菓子折りを差し出し、「ちなみに気になったんですけど」と部屋の表札を指差した。
「これ、最初の文字が擦れているけど。お名前なんて言うんですか? 『藤』、はわかるんだけど、この前の文字は、『加』で加藤? それとも『佐』で佐藤?」
 僕はつい受け取ってしまった菓子折りと彼女を交互に見つめる。
「ちょっとまって。君は? いや、まずこのお菓子だ。これは?」
「これはですね。なんといいますか、お近づきの印。昨日、引っ越してきたの。だから、そういうこと。あ、いまどき古臭い?」
「どうだろ」
「そう。私もね、どうだろって思ったの。でも母がね、こういうことはしっかりやっておきなさいって無理やり」
「ああ、お母さんね」と納得しながら、僕は菓子折りに視線を落とす。なんとなく彼女から目を逸らしたのは、自分の母のことを思い出したせいだろう。
「あ、中身ですか? おまんじゅうです。母のチョイスなの。二人で食べるには少ないかもだけど」
「二人? 二人って?」
「だってこの部屋、2LDKでしょ? 角部屋は広いって大家さんが言ってたよ。あれ? それとも一人で住んでました?」
「…一人、だよ」 
「わあ、なんと。贅沢ですね。私はね、下の階。1LDKで、一人暮らし」
 一人暮らし。
 そう力強く言葉にした彼女は、誇らしそうでもあり、どこか不安を吹き飛ばすようでもあった。
 彼女は僕と同じアパートに住み、一人生活を始めようとしている。どこから来たのかは知らないけれど、彼女の新しい生活が、この街で始まろうとしている。彼女の目に、僕はどんな風に映っているのだろう。

五時のチャイムの終わりと共に現れた女の子、のこと。

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