テーマ:ご当地物語 / 鎌倉

あなたのいる町

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 そんな私の作品が意外な展開を見せた。ダイキさんが『君に会う街』という作品を描き始めたのだ。北鎌倉の丘の上でギャラリーカフェ縁(えにし)を営む青年、樹(いつき)の日常を描く話だ。ナチュラルテイストのカフェに馴染む様々な作品が展示され、販売代行もしている。作品の多くは鎌倉近郊の若手アーティストの手による小物雑貨やアクセサリーなどだ。
 舞台が同じ鎌倉だということだけなら、その偶然に驚くだけで済んだだろう。ところが樹はひとりの女性客に目を留める。週末になると開店同時にやってきてはテラス席でソイラテを飲んでいく。まだ客足まばらなその店でその女性客はゆったりと文庫本のページを繰る。そして混み合うランチタイムになる前に帰っていくのだ。文庫本にはいつもカバーはされておらず、樹はソイラテをテーブルに運ぶ際にうつ伏せに置かれる本のタイトルに視線を走らせるのだった。それはいつも樹が読んだばかりの本か、近々読むつもりでいる本だった。
 ――これは私だ。
 そう、私には覚えがあった。『あなたのいる町』では鈴音が同じようなギャラリーカフェに行くのだ。そしてそれは現実世界の私も同じだ。小説という体を取ったエッセイなのだから鈴音と鈴花は同一人物。
あのカフェを思い浮かべてみる。丘の斜面に建つ民家。テラスからは鎌倉の山々の緑が見渡せる。高らかに鳴きながら旋回するトンビ。白木の椅子とテーブル。天窓からの自然光に浮かび上がる雑貨達。三十代後半と思しき優しそうな夫婦ふたりでやっているお店。そう、似ているだけだ。現実でのあの店の店員は夫婦のほかはいない。
 その偶然でしかないはずの二作品のリンクに私の鼓動は早まるばかりだった。現実に存在する土地を描いているだけなのだから、それが多少被ったところで問題はないはず。不快に思われたらどうしようとの怯えがなくもなかったが、連載を開始したのは私の方が早いのだからと自分に言い聞かせた。

 試すような気持ちで、『あなたのいる町』で鈴音をギャラリーカフェ縁に行かせてみた。ソイラテを頼み、レジ付近に並べられていたレザークラフトのブックカバーを購入した。この週末に北鎌倉を訪れて私が実際にとった行動だった。
 ダイキさんの『君に会う街』が更新された。いつもの女性がブックカバーを買って行った。
 これは――。
 鼓動が早まる。ただ、これだけでは、現実での私を見られていたのか、『あなたのいる町』を読んでくれたのか、判断がつかない。

あなたのいる町

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