あなたのいる町
「あ、やだ。うそ~!」
マウスをどれだけ動かしてもディスプレイ上のマウスポインタはピクリとも動かない。
「またフリーズ? もう信じられな~い。バックアップ取っていないのに~」
尻切れトンボの横書きの文章に別れを告げ、電源ボタンを押した。再起動してまた書き直すしかない。wordに下書きをしてからネット上にあげるべきだとわかっているのに、つい横着をしてしまう。その報いがこれだ。
再起動したらマウスポインタは復活した。やれやれと先程まで開いていたwebページにアクセスする。ログインページが表示される。
「あれ?」
いつもならば自分のユーザーページに飛べるはずだった。再起動の際にログイン情報が削除されたらしい。IDとパスワードを入力し……何度も何度も入力し――諦めた。IDもパスワードもパソコンに記憶させておいたため、それが消えてしまうともうわからない。
「最悪~」
私はパソコンの上に突っ伏した。
小説投稿サイトへの扉は固く閉ざされたのだった。
*
web小説を書き始めてまだ一年余り。別に小説家を目指そうとかそんな大層なことを考えているわけではない。通勤時に読んでいたweb小説が面白くて、私も書いてみたくなったのだった。その作者はダイキという名前だった。ラノベ風の作品が並ぶ中でダイキさんの文芸風の作品は貴重だった。そしてなによりどの作品の舞台も私が知っている場所ばかりだということがたまらなく嬉しかった。
私はずっと派遣社員として働いている。当然契約更新されなければ転職せざるを得ない。次の職場が交通の便で制限されないようにとターミナル駅の近くに住んでいる。横浜と鎌倉の市境。
ダイキの作品は横浜や鎌倉を舞台としたものがほとんどだ。そんな親近感から読み始めたのだった。
小説投稿サイトは数多く存在する。ほかのサイトではコメントのやり取りなどユーザー同士が交流できるようなシステムになっているところもある。しかし、私が登録しているサイトにそんなシステムはない。いつだって一方的。書く人は書くだけ。読む人は読むだけ。それだけに人間関係の煩わしさもなく、私は気に入っている。
そんな交流がないサイトでも、ここ半年ほどささやかな糸が紡がれつつあった。
私が書き始めた小説は派遣社員の独身女性の一人称で描く鎌倉を舞台とした『あなたのいる町』という物語。リフレッシュのために週末ごとに訪れる鎌倉でよく見かける男性に恋心を抱く話。とても小説などと呼べる代物でないことは重々承知している。主人公はほとんど私そのものだし、ストーリーだってただの願望だ。主人公の鈴音(すずね)という名前だって作者名の鈴花(すずか)を一文字変えただけというひどい手抜き。だから投稿はしていても多くの人に読まれたいとかそんなことを考えたことはない。ただ独り言のように書き散らすだけ。実際にひとりでふらりと北鎌倉まで行き、ひんやりと湿り気のある静寂に包まれた切通しを抜け、いくつかの寺社を巡っては、小説にした。変化のない日常に倦んでいた私の妄想日記のようなものだった。
あなたのいる町