テーマ:一人暮らし

ピーナッツバターサンド

この作品を
みんなにシェア

読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

閉じる

タナカさんのネタは完璧だった。私が入院しているあいだに、いったいどれほど練習したというのだろう。でも、タナカさんは一回戦落ちだった。お客さんはぜんぜん笑っていなかった。きっと、みんなあまりの出来栄えに笑うことさえ忘れてしまったのだろう、あるいはエルヴィス・プレスリーが蘇ったと思ってショックを受けたのだろう。
「あれは、なんだったの?」と彼女がいった。
「なにって、ものまね」
「だれの?」
「エルヴィス。エルヴィス・プレスリーの」
「だれ?」
彼女のひとり暮らしの部屋にはエルヴィス・プレスリーのポスターが一枚もなくて、変わった子なんだなあと思った。
 
彼女と別れて、自分の家に向かう途中、タナカさんから電話がかかってきた。ちょうど、私の方からかけようとしていたところで、でも、ひさしぶりでなんだか気まずいような気がして、かけるのをためらっていたところに着信があった。
「ひさしぶり」
「うん、ひさしぶり」
「うん」
「見たよ、さっき」
「お、まじで?」
「まじ」
「そっか」
「うん、あのね」
「うん」
「すごく、よかった。本当に」
「ありがとう。だめだったけどね」
「だめじゃないよ」
「あのさあ」
「うん」
「おれ、東京にいこうと思うんだ。東京にいって、ひとり暮らしして、バイトしながら養成所に通おうと思うんだ」
「そっか。学校は、やめるの?」
「もうやめた」
「そうなんだ」
「部屋に、エルヴィスのポスターたくさん貼るよ。ひとり暮らしって、そうなんでしょ?」
「はは、うん。うん」
「うん」
「ひとり暮らしかー」
「それぞれ、ね」
「うん、それぞれ」
「がんばるから」
「私も、なにか、うん」
「うん」
「うん」
そのあと、いつかリーゼントをなでつけあいながらピーナッツバターサンドを食べようねと約束して、電話を切った。

ピーナッツバターサンド

ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9

この作品を
みんなにシェア

4月期作品のトップへ