テーマ:一人暮らし

ピーナッツバターサンド

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そんなある日、私は倒れた。タナカさんが私の名前を呼ぶ声が、文字がかすれるみたいにだんだんと、耳のなかから消えていった。
「なんで? 熱中症?」病院で目を覚ますとすぐに、そういった。
「ちがうよ」と返ってきた声がだれの声なのか、直接その人を見なければわからなかった。母親だった。私はタナカさんに向けてさっきの言葉を話していた。私の隣にはタナカさんがいるものだとばかり思っていた。
「なんか食べたいものある?」と母がいって、私が「ピーナッツバターサンド」というのとかぶさるように母が「ピーナッツバターサンドはだめ」といった。
 私はピーナッツバターサンドの食べ過ぎで入院するはめになった。
 入院すること自体がはじめてで、最初は少し、なんだか特別なような気がしたけれど、すぐに慣れてしまって、夏休みが入院で終わるのかと悔しかった。私にひさしぶりに会えたことでよろこぶ母を見て私もはじめの方はよろこんでいたけれど、すぐに過剰なおせっかいというかなんというかをしてくる、詮索好きな母にうんざりして、冷たく接するようになった。母に冷たくする自分が嫌だった。「ひとり暮らしやめて実家に帰ってきたら?」「お父さんのリウマチがね」「彼氏はできた?」「気になってる人はいるの?」「隣のみっちゃんが仕事変えたんだって」「たっくんは結婚して、それで離婚して、でも子どもが三人もいて、前の奥さんが子どもを育ててて、自分はパチンコやってるんだって」「隣のぺスのリウマチがね」
でもそれよりも嫌だったのがリハビリだ。いや、こういうのはリハビリとはいわないのかもしれない。一方的な暴力だ。禁煙のためにたばこの本数を徐々に徐々に減らすようにではなく、私はいきなりピーナッツバターサンドを食べることを禁止された。いったいだれに、なんの権利があるというのだろうか、私の体じゃないかと私はベッドの上で震えなければならなかった。売店で代用品をこしらえたり、外に出てピーナッツバターサンドを食べないように私の側には常に母か看護師さんがついていた。私は嘆きのあまり、看護師さんにもつらくあたった。「別に」「うるさい」「ほっといてよ」そうやって、自分の言葉に傷ついて、私はあきらめて軟化していった。あたりさわりのないことをいって、母や看護師さんや医師が笑わせようとしてきたときには笑って、ときには最近のJPOPの話をしたりして大人たちを安心させた。エルヴィスを連想させるものなんてひとつもない清潔な部屋だった。タナカさんは一度もお見舞いにこなかった。

ピーナッツバターサンド

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