テーマ:一人暮らし

ピーナッツバターサンド

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「わかった。それに、リーゼントをまた作らないといけないもんね」タナカさんはエルヴィス・プレスリーのものまねのし過ぎで、私が公園のベンチの上に置いておいた整髪料をすべて使い切ってしまっていた。

 私の部屋に入るなり、タナカさんがこういった。
「うわー、ポスターすごいね、ひとり暮らしってみんなこんなもんなの?」
「そうだよ、ひとり暮らしの人はみんなひとり残らず壁中にエルヴィスのポスターを貼ってるんだよ」知らないけど、みんなそうでしょ?
 タナカさんが洗面所でリーゼントをセットしているあいだ、私はクローゼットから予備のスタンドマイクを取り出した。
「お店のよりおいしそうだね」とタナカさんが、リーゼントをてりてりさせながらいった。
「え? うわ、完全に無意識だったわ」気がついたらピーナッツバターサンドができあがっていた。ふたりでピーナッツバターサンドを食べ終わると、テーブルなどを脇に寄せて、タナカさんがまたエルヴィスのまねをした。
「ちょっとマイク貸して」と私はいった。「いい? ちゃんと見ててよ」
私がエルヴィスのまねをはじめると、もはやここは私の部屋ではなくて、ライトと音がひらめくステージ上で、私を見ているエルヴィスたちがきゃーきゃーと騒ぎ立てている。
曲が終わるとタナカさんの顔が火照っていた。無理もない。
それから私とタナカさんの特訓がはじまったけれど、タナカさんのものまねはそんなに簡単に上達はせず、それどころかだんだんとタナカさんに疲労が見えはじめ、タナカさんの汗がふりかかってエルヴィスたちが湿っていくのはいらっとしたけれど、それでもタナカさんは熱中していて、シンプルにまぶしかった。私には、こんなにもやりたいことがない、と自分に幻滅して、落ちきりそうになったとき、「べくしょい」とタナカさんがくしゃみをして、ぜんぜん止まなかった。

歩けそうかと聞くまでもなく、歩けさえしそうにないタナカさんは家に電話をかけて私の部屋に泊まることになった。「友だちの家に泊まるから」とタナカさんがいうのを聞いて、いつのまに友だちになったんだろうかと思った。私は、いや、私たちはエルヴィスにしか興味がないからなんにも起こらなかったし、そもそも私はこの部屋でセックスをしたことはない。部屋中のエルヴィスに、エルヴィス以外の男と寝ている姿を見せるわけにはいかない。私のセックスに嫉妬したエルヴィスたちがポスターのなかから立体的に一斉に、影のように飛び出してきて、エアコンが壊れた部屋で汗をかいてシーツを掴みながら唖然と見つめる私と男に殴る蹴るなどの暴行を加えたりはせずにみんなでいっしょにキッチンにいって大量のピーナッツバターサンドを作って、私と男の口に無理やりねじ込んで、コレステロール値だとか血中の塩分濃度だとかなんだとかを一気に上昇させて、エルヴィスがピーナッツバターサンドの食べ過ぎで死んだといわれているのと同じように、私たちを殺すのだ。でもそれも悪くないかもしれない。

ピーナッツバターサンド

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