テーマ:一人暮らし

ピーナッツバターサンド

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「じゃあさ、やってみてよ。エルヴィスのものまね。ほら、そこの公園で」いらいらしているということが、なるべく声に出るようにしていった。
「え? いま? いまはちょっとさー。髪をセットする道具もないし」
「私が持ってる」
「あ、スタンドマイクがないから……はは」
「それも持ってる」私はカバンのなかから自撮り棒を取り出すようにして伸縮自在のお手製スタンドマイクを取り出してみせた。「じゃあ、いこうか、ピーナッツバターサンドもういっこ食べてから」

 喫茶店を出るときにテイクアウトで買ったピーナッツバターサンドがなければとてもじゃないけどその時間を過ごせなかった。タナカさんは公園にいる子どもたちが指さして笑うこととか、通りがかる中高生がスマホでタナカさんの写真を撮る度に「ツイッターにあげないでよ!」とかいってネタを中断する始末で、私が「いや、あげられた方がいいんだよ。バズったらどっかから声かかるかもしんないじゃん」といってようやくネタに集中し出した。「腕がおかしい」「エルヴィスはそんなステップしない」と私が一回目のネタ終わりにそういうと、タナカさんは向上心は持っているようで、二回目には早速改善してきた。とはいえ見てられるものじゃない。私はだんだん、新しい拷問を受けているような気分になってきて、途中からはスマホを見たりカバンのなかに入れていた文庫本を読んだり、公園にいた女子小学生たちといっしょにバドミントンをしたりしたのだけど、そのあいだにもタナカさんはずーっと同じネタを繰り返しやっていた。私はもしかしたらこの人は本気なのかもしれないと思った。ネタはだめだけど、エルヴィスのことを本気で好きなのかもしれない。陽が暮れてもタナカさんはネタをやっていて、酷使された手作りスタンドマイクが折れてようやく、タナカさんは止まった。集中していたのか、どれくらいの時間が経ったかもわかっていないようだった。ピーナッツバターサンド30個分の時間が過ぎたのだ。
「あ、これ、ごめん」タナカさんが折れたスタンドマイクを仔猫を抱えるように持ちながらいった。「スタンドマイクって、まだ、あったりする?」
「あるけど」
「よかったら、貸してほしいんだ。その、もっと練習したくて」
「わかった」
「どこにあるの?」
「うちに」
「いっていい?」
「いま?」
「いま。なんか、掴めてきたんだ。ゾーン、みたいなものに入った瞬間があったんだ。だから、忘れないうちに、早くエルヴィスになりたいんだ」

ピーナッツバターサンド

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