スクランブルス
「べにこ、ヒナ、来てくれてたんだ。ありがと」
雪絵ちゃんはミネラルウォーターのペットボトルを勢いよく飲みほし、私とヒナにジンジャーエールをおごってくれた。
「でも今日は本当のDJじゃなくて、たまたまアイツに頼まれてバックDJしただけだからな。大したことは全然やってないよ」
出番を終えた雪絵ちゃんの額はしっとりと汗ばんでいて、暗い照明と相まって一段と幻想的な美しさだ。
「ねえ、『DJスノーホワイト』ってなあに?」私はイベントのチラシを指差して聞いた。
「これはなんていうか、DJするとき用の名前……ペンネームみたいなものよ。改めて聞かれると恥ずいからあんまし言うな」
雪絵ちゃんは早口でいうと、照れ隠しか空のボトルをクシャッと潰した。
「そういや、ヒナはアイツと話せたの? まだだったら今裏にいるから連れてくるけど」
「あいつって?」
「MCフロッグマンだよ。見てたっしょ、アイツのステージ。あれがヒナの好きなオトコ……あれ、べにこ、ひょっとして知らずに来たの?」
私は仰天した。あの微妙なラッパーが、ヒナの想い人。彼女がわざわざ東京まで追いかけてきた王子さま。
ゆっくりと首を横に振ったヒナがタブレットに文字を表示させ、私たちに見せてくれる。
【今日はステージ見れたからもう満足。ありがと】
薄暗い店内で、タブレット画面だけが淡く発光している。
【ちょーかっこよかった】
その光に照らされて、いつも表情を変えないヒナの頬がほんのり上気しているのにやっと気がついた。
私と雪絵ちゃんは無言で顔を見合わせる。いつの時代も人の好みは千差万別だし、恋をするというのはまあ、そういうことなのだ。手の中で溶けた氷がからん、と鳴った。
次の日の夕方。グレーテは東京タワーのお土産売り場で買ったという記念メダルを眺めて満足そうだった。あれ買う人いるんだ。
「日本のコンビニはとても便利。売られているお菓子はどれも非常に美味しい」
とはもちろんグレーテ恒例のコンビニ讃歌で、彼女は今日も真剣な顔をしてスナックを頬張っている。常時コンビニのスナックや菓子パンをぱくついているにもかかわらず、グレーテの頭は握りこぶしほどの大きさしかなくて脚は私の倍も長い。彼女は雪絵ちゃんと同じ大学で日本文学を専攻している。ネイティブ以上に堅苦しい喋り方は彼女の勉強熱心さの表れだ。
【ドイツのお菓子やパンも美味しいでしょ。本場じゃん】
「ドイツのパンも確かに美味しい。だけれど、24時間手軽に手に入るわけではない。それにふわふわふわの食パンはそれほど普及していない」
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