スクランブルス
突如、室内に響き渡っていたBGMが小さくなった。がそれも一瞬で、雪絵ちゃんが手元の機械のツマミをひねると、すぐにお腹に響くような低音のビートが流れ始める。どうやら雪絵ちゃんの「皿回し」が始まるようだ。
そのとき。
「ヒャッハー!」
突然、緑色の髪を逆立てた男性がステージに飛び出し、雪絵ちゃんの音楽に合わせて叫び始めた。
「アイムMCフロッグマン、イン・ダ・ハウス! ヒュー」
髪と同じ緑のTシャツにワイドジーンズ、背中にはなぜかバックパックをしょっている。足にマイクケーブルが絡まっているが気づいてないらしい。
「今夜はfeat. DJスノーホワイト、スペシャル・タッグでお届けするぜ!」男性は大げさに手を広げて雪絵ちゃんを観客に紹介する。まばらな拍手があがった。手元のチラシに目を落とすと、確かに「MCフロッグマン:19歳より活動の拠点をTOKYOに移す。ジャンルの壁を飛び越えるボーダーレスなジャンプ力はまさに“フロッグマン”。おもちゃ箱をひっくり返したようなライブアクトに定評がある」という大層なプロフィールと顔写真が載っている。
男性はフォーとかひぃーとか奇声を発して狭いステージを駆けまわる。大音声に対して観客は静まりかえっていて、スマホのシャッター音がビートのはざまに聞こえるほどだ。
雪絵ちゃんがふと顔を上げた。真正面にいた私と目が合い、彼女は少しびっくりしたような顔で「おす」と口パクしてくれた。それが合図だったかのように、MCフロッグマンが大きく息を吸い込んだ。
「HEY YO 鉄のハインリヒ 拾う金のまり 叶わないmarried 置いてけぼりでまじで無駄足」
歌が始まった。歌というよりこれは……ラップだ! 私は目を見開いた。しかも超下手くそな。
「新宿駅 lika a 雲のラビリンス いつの間にやら地下鉄fall in メーン」
ただでさえ少なかったステージ前の客がひとり、またひとりとドリンクカウンターに逃げていく。真面目に聞いている客はたったの10人足らずで、いたたまれなくなった私は意味もなくもじもじしてしまった。隣のヒナを盗み見ると、意外にもじっとステージのMCフロッグマンに視線を注いでいた。
「魔窟バスケットボールストリート mapがないなら当たって砕けろ どこにいんの俺のマーメイド アーハン」
うーんひどい、と横で見ていた客が呟いた。私もこれはないな、と密かに思った。
スクランブルス