テーマ:一人暮らし

まぶたの裏のトワイライトゾーン

この作品を
みんなにシェア

読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

閉じる

 ぼくが尋ねると、ダイオウイカは伏し目がちに言った。
 (私、「親しい」言っていません。「知り合い」言いました)
 それから、
 (飢えてしまいそうになったら、私を食べます。当然のこと。仕方ありません)
 と付け足す。
 「なぜ上昇なんてする気になったんだい? 危ないじゃないか」
 ダイオウイカは目玉を下から上へぎょろりと動かし、
 (あのね、私、水の上へ行ってみようと思うんです)
 と大きな目をいっそう見開いて言った。視線の先は、はるか上をとらえていた。
 (いつか、マッコウクジラ、教えてくれました。水の上には、こことは別の世界があって、別の生物たちが、別の暮らししてると。光にあふれた、素晴らしいところだと)
 トワイライトゾーンにいる方が、ダイオウイカにとっては適している。水面近くなんかに行ったら、狙う動物も、人間も、たくさんいるだろう。しかし、ダイオウイカの決心は固いようで、心はすでに、海面近くまで上昇しているようだった。ダイオウイカは、今度はぼくを見つめて尋ねた。
 (あなた、水の上の世界、知っていますか? 幸せな、場所ですか? 光とは、楽しいものですか?)
 ダイオウイカは、いっぺん触手をもがれてもなお、光を求め上昇しようとしているのだった。ぼくは、
 「知ってるよ」
 と答えてから、言葉に詰まった。
 第一、ぼくはちっとも幸せでなかったし、昼のまぶしい光のなかにあってはそれがいっそう色濃く影を落とすものだから、ぼくは光を避けて暮らしていた。
 でも、本当に、そうだろうか? ぼくは、幸せな時間と、楽しげな光を、一生懸命思い出のなかからたぐりよせようとした。それは、必ず、ぼくのこれまでの人生に、存在していたはずだった。長い間あえて気づかないふりをしていたのは、幸せな思い出は、きまって今のぼくを揺さぶり、惨めな気持ちにさせるからだ。でも、せっかくできた仲間のことを、失望させたくはなかった。
 「幸せな場所だよ」
 ぼくは話し始めた。
 「まず、水の上には、広い空が広がってる。水面の青とは違う青だよ。実際に見てみるといい。空には、翼を持った鳥ってやつが舞っていて、翼を持たない動物たちは陸で暮らしてる。海と陸の境目……浜辺っていうんだけど、楽しいところだよ。毎年夏休みになると、父さんと母さんとひとつ下の弟と、海水浴に行くんだ。父さんと弟と一緒に砂を掘ってパラソルを立てている間、母さんは日傘をさして貝殻を拾っている。海辺の日差しはかんかんに強くて、体中を刺されるようだったよ」

まぶたの裏のトワイライトゾーン

ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

この作品を
みんなにシェア

5月期作品のトップへ