テーマ:一人暮らし

まぶたの裏のトワイライトゾーン

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 暗闇のなかで目を閉じると、まぶたの裏に不思議なものが見えてくる。じんわりと広がっていく黒い濃いもやや、蛍光色を帯びた無数の点滅、幾何学模様に、蛇のようにうごめく縄編み模様。まぶたを指で押すと、模様が変わったりする。これは、残像であったり、網膜やまぶたの血管であったり、脳が作り出す錯覚なのだそうだ。この模様を眺めるのが、寝る前の束の間の楽しみだった。今日のそれは、さっきウェブサイトで見た海のトワイライトゾーンとよく似ていた。どこまでの広がる暗い海の底、ところどころで黄色や赤に短く発光する異界の生き物たち。
 その時、まぶたのはしっこで、巨大な光る何かが横切っていくのをとらえた。一瞬のことだったが、黄金色の長い触手の先っぽのように見えた。初めての模様に驚いて目を開けると、もちろんまぶたの裏の模様も消える。ためしにもう一度目を閉じてみたけれど、それがふたたび現れることはついになく、ぼくは眠ってしまったようだった。

 夜中に働き、日中眠る生活には慣れていた。去年まで働いていた会社では、終電がなくなるまで働き、お昼にさしかかる頃フレックスで出社した。平日も休日もかまわない。タクシーの領収書の量が多ければ多いほど、残業時間が長ければ長いほど、働きぶりの勲章だと信じていた。ぼくはなかでも優秀な社員で、上司からも期待されていた。
 ところが、それは突然だった。ある朝、体がまったく動かなくなったんだ。ちょっと遅めに出社すればいいさ、と思ったけれど、それもできず、はじめて有給をとったぼくは、布団にくるまり、歯がゆい思いで明日こなす仕事の手順を考えていた。しかし、次の朝も、その次の朝も体は動かず、もがけばもがくほど深みにはまり、ぼくはついに、真っ暗な穴ぼこのように口をあけた、トワイライトゾーンへと引きずり込まれてしまったのだった。
 必要なものはインターネットで買えるし、「休職中」ということになるっているので、給料だって傷病手当として7割は入ってくる。
 恵まれた子供時代を過ごし、学校の成績も申し分なく、人並みにモテた。都会の悪い女にもひっかからずぶじ大学を出て、正社員で就職した。田舎の両親は健在だ。持病はないし、BMIも血糖値も正常だ。
 あぁ、それなのになぜだろう。ぼくは、ちっとも幸せでなかった。

 隣人が廊下を駆け下り管理人さんの挨拶に耳を澄ます毎朝の儀式を終えた後、ぼくは布団に入って目をとじ、くるくるとうつりかわってゆくまぶたの裏の模様に注意深く目を凝らす。昨日の触手がまた現れるかもしれない。正体を突き止めてやりたかった。退屈なトワイライトゾーンでの暮らしのなかで、その出会いは新鮮で、ぼくはわずかな活力を得た。

まぶたの裏のトワイライトゾーン

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